このページを印刷される方はこちらのバージョンをご利用下さい。ブラウザーでは見にくいのですが印刷は鮮明です。
天文の話は高校物理では万有引力の説明のときに少しだけ出できますが、今の高校生はほとんど習いません。とても面白い所なのでここで説明します。
古代の人にとっての宇宙は、それぞれの場所から見たままの経験に基づくものだった。
地平天平説
地平天球説
である。まさに地域的宇宙論である。このとき月、太陽、星々の動きから天が半球状をしているという考えは早くから存在した。つまり右図の様なものである。しかしこの宇宙論には重大な3つの疑問が生じる。
その後の宇宙論はこの疑問に答えるかたちで発展する。
地球が球形である説は以下に述べる観測技術の向上と人間活動の広域化によりわりと早くから確立される。古代人は地球が球形である証拠として
などを挙げている。アリストテレス(B.C.384〜322)は“地球は球形である”と理由を付けて書き残している。
彼は大地は天より等距離の場所を占めているので平衡点になっていると考えていた。故に大地は支えられなくても天の中心に留まることができると考え、上記1.の疑問を解決した。そして天は無限の広がりを持つとして2.の疑問に答えた。
天も大地も球形と考えて上記1.2.3.の疑問をすべて解決した。地球が球形とすると地球の裏側の人間は地球からぶら下がるかたちになるが、彼らは地球が宇宙の中心であり、すべての物はその中心に対して球対称に分布すると考えて上記3.の疑問に答えた。
フィロラオスは宇宙の中心である中心火の回りを地球は西から東へと1日に1周するとした。彼がこのように考えた理由は不明である。
自転する球形の地球が宇宙の中心とした。驚くべきことに自転する地球という考え方はわりと早くから出てくる。そう考えたのも広大な天を1日に1回の割合で回転させるより、中心の地球を回転させて日周運動を説明する方が現実的だったからだろう。
ピタゴラス派の説明には惑星の運動の説明がまったく抜け落ちている。観測技術の進歩とともに、この惑星運動を説明しようとしたのが次に述べる同心天球説である。
惑星の明白な不規則運動をみとめて、一様円運動の組み合わせによって説明。
同心球を多数組み合わせて説明しようとした。彼は
恒星球 1個
5惑星 4×5=20個
太陽 3個
月 3個
合計27個の同心球を仮定した。一つの惑星に4個の同心球を割り当てたのは下図のメカニズムにより逆行運動を説明しようとしたからである。
上図の2と3の同心球の役割はわかりにくいが、下図の様にA軸の回りの回転(球3の回転)を行わせると往復運動(厳密には8の字形の往復運動)を生み出すことができる。これにB軸のまわりの回転(球2の回転)重ね合わせることにより惑星の逆行が表現できる。球4の回転は球3の回転を打ち消すためのものである。
アリストテレスはエウドクソスが考えた思考上の同心球をより実在的に考えた。つまり内側の惑星を表現する同心球群(エウドクソスは3又は4個にしたが、アリストテレスは運動をより精密化するために天体一つ当たりに4又は5個導入した)が外側の惑星を表現する同心球群の一番内側に接続しているとした。そのため外側の惑星の運動を巻き戻して静止した軸をつくるために逆転球群(天体一つに3または4個)を導入した。そのため彼の宇宙は合計56個もの同心球が機械的に一つにつながった複雑なものになった。
アリストテレスの時代には水、金星と火、木、土星との顕著な違い、前者は太陽にまとわりつくように動いているが、後者は太陽と真反対にくることに着目していた。また対恒星天内を一周する期間の大小から地球からの順番を上記の様に考えていた。そのために次に述べる説も存在した。
驚くべき事に下図の様に地球と太陽の2つを中心とする説が考えられていた。
ヘラクレイデス説の詳細は別稿のこちらを参照。
さらにアリスタルコスは太陽を宇宙の中心とし、その周囲を自転しながら回転(公転)する地球を考えていた。しかし観測事実の蓄積と解析法の確立していない古代においては広く広まるに至らなかった。
アリスタルコスの地動説の詳細については別稿の説明を参照。
プトレマイオスが述べた説として有名であり、高校生は天動説という誤ったものとして説明される。しかし、これは、古代における精密観測結果を飛躍的に正確に説明した画期的で偉大な説です。高校物理の教科書には間違った説明が多々見られるので、大いに努力して以下説明する。
まず、この説は同心球宇宙が観測結果とあわなくなったために考え出された。その同心球宇宙の矛盾とは
彼は同心球宇宙が持つ上記1や2の矛盾を解決するために誘導円と周転円を導入し、すべての惑星は誘導円の上に回転中心を持つ周転円の上を運動するとした。周転円の中心は誘導円の上を等速円運動をする。そしてその周転円の上を惑星は等速円運動をする。さらに誘導円に中心位置(地球はそこに位置する)が円の中心からずれている離心円を導入することで上記3や4の矛盾を解決した。
ヒッパルコスの宇宙を集大成したのがプトレマイオスである。その特徴は
上記1の様に配置する観測上の根拠は全く無いのだが、地球からの相対的な距離を決める方法を持たなかった当時では致し方ない処置かもしれない。これが後で述べるようにコペルニクス的な転回をすれば太陽系を構成する惑星系の相対的な軌道半径を決定できる着想に繋がる。
2、3について、多くの教科書の説明はいい加減です。プトレマイオスの宇宙体系の真骨頂はここにある。
さらに、プトレマイオスは3.(3)1.で説明する離心円とエカント点の採用により観測事実の説明で素晴らしい精密さを達成することができた。
[補足説明1]
上記のように古代人は、天を運行している天体は土→木→火→日→金→水→月の順で地球に対してより近くに存在すると考えていた。月が地球に一番近いのは、古代より月が他のすべての天体を隠す事(日食・惑星食)が知られていたからです。
この順番が今日の一週間(曜日)の起源なのですが、何故に日→月→火→水→木→金→土となるのかはこちらの説明ご覧ください。
今日の日曜日〜土曜日(Sunday〜Saturday)の名前の由来についてはこちらの別稿をご覧下さい。
[補足説明2]
理解するとは? W.ハイゼンベルク著「部分と全体」より引用
古代宇宙論に於いてプトレマイオスの宇宙は大きな成功を収めたが、それもそのはず、プトレマイオスの宇宙とコペルニクスの宇宙は数学的に全く等価であり、太陽中心の現在の宇宙を正確に表現できる。以下そのあたりの事情を図により説明する。
木星を例にして説明する。地球は太陽の回りを1年(12ヶ月)で一周し、木星は太陽の回りを約12年(142ヶ月)で一周する。木星軌道半径は地球軌道の約6倍である。そのとき一ヶ月おきの地球の位置から太陽と木星を見たらどの方角のどの距離に存在するように見えるかを描いたものが下図である。どの方向に見えるかとは、遙か彼方に存在する恒星系の星々を背景として観測した場合に、恒星系に張り付いている天球の座標上でどこにいるかということである。この図を検討してみれば明らかなように、地球を中心に据えて天球上の恒星系を背景として(つまり天球上の緯度・経度で)各天体を見ると
もちろんプトレマイオスは地球−太陽間、地球−木星間の距離を知るすべを持たなかったので、2.(2)1.で述べたように逆行の量より周転円の見かけの視角を決め、周転円が重なり合わないように誘導円の大きさを定めた。その点以外は全く数学的に等価です。[拡大図]
水星を例にして説明する。水星の軌道半径は地球の約0.39倍であり、公転周期は約88日である。地球を中心に据えて恒星系を背景として各天体を見るとこの場合も図から明らかなように
もちろんプトレマイオスは地球−太陽間、地球−水星間の距離を知るすべを持たなかったので、2.(2)1.で述べたように逆行の量より周転円の見かけの視角を決め、周転円が重なり合わないように誘導円の大きさを定めた。その為めに、水星の誘導円も周転円も太陽軌道の内側に設定されていたが、それ以外は全く数学的に等価です。[拡大図]
上に述べた手順を逆に行えば、プトレマイオス宇宙はコペルニクス宇宙に転換される。すなわち
[拡大図]
このように転換すると地球からの各天体の見え方はそのままにして地球中心のプトレマイオス宇宙から太陽中心のコペルニクス宇宙へ移行できる。このあたりの事情は上図を参照。ここで注目すべき事柄は、どちらの宇宙体系でも地球から見た惑星運動の見え方は全く同等であるが、上記の変換をすることで太陽系における各惑星軌道の相対的な距離が完全に決定できる事である。これこそがコペルニクス説の最大の成果である。
コペルニクス以後の宇宙体系では、どれか一つの天体までの距離が測定できれば太陽系全体の絶対的な大きさが決定できる。歴史的には火星と金星までの距離測定が精力的に試みられた。このことについては別稿「レーマーが光速度を計算した方法」1.(1)[補足説明2]をご覧下さい。
[補足説明1](2017年4月追記)
最近、読者の方からとても興味深い質問を頂きました。それは上記の説明に関係しているのですが、ご質問の趣旨を斟酌すると以下のようなものでした。
“プトレマイオスの宇宙とコペルニクスの宇宙が等価であるならば、当然プトレマイオスの宇宙の周転円は、楕円であるはずです。それならば、地球から各惑星の運動を観測したときに、各惑星の周転円上で近地点→遠地点を移動する、あるいは周転円の遠地点→近地点を移動する期間を地球時間で何月何日〜何月何日として知ることはできますか?”
私はこの事について深く考えたことが無かったのです。とても興味深いご指摘なので、私の考えをご返事しました。これはプトレマイオスの宇宙をより良く理解する上で重要だと思いますので、ご質問に対する返事を別項で紹介します。
周転円の複雑なメカニズムの呪縛からのがれ、太陽系の各惑星軌道の相対的な大きさを完全に決定できるという成果を挙げたコペルニクス説だが、話はそう単純には進まなかった。
コペルニクスのいうように地球が太陽の周りを公転しているのなら、近くの恒星は遠くの恒星を背景にした天球の中で、1年を周期とした円運動(天の極付近の恒星)や往復運動(黄道付近の恒星)をしなければならない。これを年周視差という。当時すでに様々な天文現象(1572年新星の出現、1577年彗星の出現)から恒星世界もに広がりがあり、様々な距離に恒星が配置されているという考え方が芽生えていた。しかし年周視差の大きさは当時の観測技術を遙かに超えた微少なものであった。年周視差の詳細は「年周光行差と年周視差による星の位置変化」2.参照。
ヴィッティッヒは以下に述べるティコ体系とプトレマイオス体系の折衷案の宇宙(下図参照)を考えた。水星と金星は、地球の周りを公転している太陽の周りを回る。そして火星、木星、土星は[太陽−地球間距離の半径]を持つ周転円の上を太陽に同期して回転する。
ただし、この宇宙体系については3.(1)3.の図を復習されれば解るように、当時得られていた観測結果から言っても、上に引用されている図はかなり修正する必要があります。
中世最大の観測家であったチコ・ブラーエはいくら星々を観測しても年周視差を観測できないことから下図の様な宇宙を考えた。彼の宇宙は月を除いたすべての惑星は太陽を中心とした円軌道を公転しており、それらの惑星を伴った太陽が地球の周りを回転している。
上記のティコ・ブラーエの宇宙モデルについて補足しますと、これとまったく同様なモデルをティコと同時期にライメルス・ウルススが唱えています。ウルススのモデルは[火星軌道と太陽軌道が交叉しない]、[地球ー恒星間距離が様々で恒星天が奥行きを持つ]、[地球が自転して、恒星天は静止している]の三点でティコのモデルと異なっています。
ティコはウルススのモデルは自分のモデルの盗用だと主張していますので、ウルススが本当に観測値から独自に導いたのかどうかはわかりません。ただし、ティコやウルススのモデルが唱えられる機は熟していた事は言えると思います。
この当たりについては、山本義隆著「世界の見方の転換」3.のp990〜998をご覧下さい。
この当たりの様々なモデルについては、高橋憲一訳・著「コペルニクス・天球回転論」みすず書房(1993年刊)のp199〜206で詳しく説明されています。
また、上記のヴィッティッヒのモデルに関する天文学史上の大発見について、その当事者であるギンガリッチが、その発見過程の一部始終を「誰も読まなかったコペルニクス」p108、139-153で語っています。ここはこの本の最も面白い所ですので是非ご覧下さい。
これまでの説明から明らかなように、太陽中心のコペルニクス説と地球中心のプトレマイオス説、ティコ・ブラーエ説は、地球から見た太陽、月、惑星の運動を説明する上に於いて数学的に全く等価です。
さらにコペルニクスも惑星の運動は真円の上を等速度で移動する運動であるという考え方にとらわれていたため、太陽中心説でありながら惑星の運動をより正確に説明するために離心円と周転円を用いざるをえなかった。
それ故に地動説(太陽中心説)と天動説(地球中心説)の優劣は次に説明するケプラーの楕円軌道の発見に至って初めて明確になる。
ここでは、“誘導円と周転円”しか取り上げていませんが、“プトレマイオスの天動説”では天球上における惑星(月や太陽も含めて)の運動を正確に表現するための方法として、“離心円”(誘導円の中心を地球の中心にするのではなくて、地球の中心から離れた場所にする。)と“エカント”を用いています。
これらは惑星の軌道が楕円であることに由来する移動の不等性(これは「中心差」と呼ばれる)を説明するために導入されたものです。“エカント”とは周転円の中心が誘導円上を移動する速度を観測データと合わせるために設置した“点”(離心円の中心に対して地球の反対側にある)のことで、そこから見ると誘導円上の周転円中心が一定の角速度で動いている様に見える。
これは、惑星軌道が楕円であることに起因する天球上の運動の不等性を説明すめためにプトレマイオスが導入したものです。楕円軌道は惑星ごとに異なりますから、誘導円(離心円)の中心とエカント点の位置は惑星ごとに異なる位置に定めなければなりません。それを定めるにはかなり面倒な作業が必要ですが、この離心円とエカント点を導入することで、惑星移動の観測値を極めて旨く説明できるようになった。プトレマイオス説が千年以上受け入れられたのは、このことの成功があったからです。
しかしこのやり方では、誘導円(離心円)上の周転円の中心は“エカント”に対しては等角速度で移動するが、誘導円(離心円)の中心に対しては等角速度では移動しなくなります。このことは、多くの天文学者に取って受け入れ難いことでした。プトレマイオス説の不完全性を示すものだと思われていたのです。そのため、後の様々な天文学者がその改良を試みています。
[補足説明1]
上記で述べたプトレマイオス宇宙の誘導円の回転が一定角速度で無くなった事を解消してプトレマイオス宇宙を改良する試みが、12〜13世紀のイスラム圏で成されます。以下で、アッ・トゥースィーとその弟子のアッ・シーラーズィーの説と、ダマスカスのアッ・シャーティルの説を説明する。
周転円中心が不等速度で動く上記の誘導円を導くために、新たに“導円”と周転円を利用する。そのとき下図の手順で描かれる“誘導円”上を上記の“周転円”の中心が移動する。これらのモデルでは“導円”や小周転円の動径は、その中心に対して常に等角速度で回転しており、「一様円運動原理」を遵守している。
地球−エカント間距離に対する小周転円の半径比と動径の回転角速度に対する小周転円の回転角速度比は図に示されている通りです。[拡大図]
アッ・トゥースィーのモデルはエカント点の周りを等角速度で回る動径に二つの小周転円(これは“トゥースィーの対円(ツイエン)”と呼ばれる)を組み合わせてプトレマイオスの誘導円を近似する。弟子のアッ・シーラーズィーは動径の中心を少しずらすことにより小周転円を一つ減らして同じ効果を生み出す。小周転円数を減らすことで師匠のモデルを改良している。また、アッ・シャーティルのモデルは周転円の数はアッ・シラーズィーと同じですが、起点を仮想的な点ではなくて、地球という実態に結び付けた点で改良されている。周転円上の惑星も含めた状態をアッ・シャーティルの火星モデルで例示。
下図を検討すれば明らかなように、これらの三つのモデルは数学的に全く等価です。[拡大図]
ただし、プトレマイオスのモデルとは等価では無い。完全に等しくはないが、ほぼ同形の“誘導円”と、ほぼ同様な“周転円中心の移動速度変化”を実現している。これらのモデルは次項で説明するコペルニクスのモデルに良く似ているが、コペルニクスがこれらのモデルを知っていたかどうかは解りません。
ここの説明は参考文献3.p153〜157から引用。
この稿で説明した“誘導円と周転円”は、本来地球は太陽の周りを回っているのに、無理矢理に地球を中心にして太陽を地球の周りを回ることにしたために、しかたなく導入せざるを得なくなったものです。そのため外惑星の周転円は太陽の動きに同期させてあり、内惑星の周転円の中心は正確に太陽と地球を結ぶ線上にあった。
だから、この稿で説明した様に、天動説から地動説への変換(コペルニクス的転回)に関係するのは“周転円”です。そのためこの稿では“周転円”のみを取り上げて説明したのですが、コペルニクスの太陽中心の宇宙体系に移行すれば周転円をなくすことができた。
しかし、ここで注意して欲しいことは、惑星(地球、太陽、月も含めて)の軌道が本来楕円形であることに起因する惑星運動の不等性「中心差」に関しては、コペルニクス的転回、つまり太陽が地球の周りを回るのではなくて地球が太陽の周りを回るようにすること、だけでは解決されません。すなわち円軌道を用いている限り、地球中心説から太陽中心説へ転換しても、その不等性は解決されない。
プトレマイオスが“円軌道”の地球中心説に導入していた“離心円”と“エカント”による修正に相当するものを、コペルニクスの円軌道を用いた太陽中心説に導入しないと、プトレマイオスが達成していた精度を達成することはできないのです。
そのため、コペルニクスは“円軌道”の太陽中心説を採るときに、さらに惑星の軌道に“離心円”と“小周転円”を導入します。この両者を導入して初めて、プトレマイオスの“離心円”と“エカント”が達成していた精度に達することができたのです。しかも、誘導円(離心円)中心に対する誘導円上の周転円の中心の移動は等角速度運動となります。もちろん小周転円上の惑星点の回転も等角速度です。
このとき、コペルニクスの導入した[離心円+小周転円]はプトレマイオスの[離心円+エカント]と数学的にほぼ等しくなるいことに注意してください。ギンガリッチの著書「だれも読まなかったコペルニクス」(早川書房2005年刊)の附録1p335〜338に解りやすく説明されていますので、その要点を引用します。
例として地球と太陽の関係を取り上げると下図の様になります。
同じ様に離心円を用いていますが、その中心の位置はプトレマイオスモデルとコペルニクスモデルでは異なることに注意してください。右図の離心円中心と太陽間の距離は左図の離心円中心と地球間の距離の3/2倍です。
さらにこのとき、右図のコペルニクスの小周転円モデルでは、誘導円上の小周転円中心は離心円中心に対して等角速度で回転することと、小周転円上の地球の移動速度は太陽から遠い所で遅く近い所で速くなる(ケプラーの面積速度一定の法則)ことに注意されたし。上右図は[補足説明]アッ・シーラーズィーモデルの地球を太陽に置き換えたものと同じです。
この当たりの詳細は別稿「プトレマイオス天動説のエカントとコペルニクス地動説の周転円」3.を参照。
ついでに補足すると、上右図の[離心円+小周転円]モデルはさらに[周転円+小周転円]モデルに置き換えることができます。両者が同じであることはこちらの図を参照されてください。このとき、[周転円+小周転円]モデルの大きい方の周転円の半径は、[離心円+小周転円]モデルにおける[離心円中心−太陽間距離]にすれば良い。このことは下図を検討すれば直ちに了解できます。下右図は[補足説明]アッ・シャーティルモデルの地球を太陽に置き換えたものと同じです。
ギンガリッチによるとコペルニクスは「コメンタリオルス」(1513年頃?)の中では下右図のモデルを、「回転について」(1543年)では下図の両方のモデルを使用しているそうです。
コペルニクスはこられのモデルを月、金星、火星、木星、土星について利用したが、太陽の周りを回る地球に対しては、単純な離心円のみで説明したようです。地球の離心率は水、火、木、土星よりも小さいが、金星よりも大きい。なぜ地球に対して上記のモデルを使わなかったのかは良く解りません。
月の運動には楕円軌道故の「中心差」以外に、太陽引力の影響のために生じる「出差」という公転軌道の不等性が存在します。これはかなり大きな変動で、プトレマイオスもこの「出差」を実現するモデルについてはかなり苦労しています。
詳細はクリストファー・ウォーカー篇「望遠鏡以前の天文学」などを参照されてください。高橋憲一訳・著「コペルニクス・天球回転論」みすず書房(1993年刊)のp88、p104にはもう少し詳しく説明されています。また、月の運動そのものに付いては別稿「月の運動理論」をご覧下さい。
科学史家は、プトレマイオスの“エカント”の代わりに“周転円”を導入すれば、“円軌道”の太陽中心説でもプトレマイオスとほぼ同じ天体の運行精度を達成できたことが、コペルニクスが天動説から地動説に移行した理由だと説明しています。
プトレマイオスの導入した“エカント”は惑星軌道が楕円であることによる不等性を旨く説明したのですが、“エカント”を導入すると周転円は円上を動くとしても円の中心に対して同じ速度ではなくなる。円の中心に対する一様な円運動(これは不可侵の原理だと思われていた)という大原則に違反してしまいます。
ところが、太陽中心説(地動説)にしたうえで“周転円”を“離心円”と共に導入すると、地球中心説(天動説)で“離心円”と共に導入された“エカント”により得られていた精度を、“一様な円運動速度”を保ったままで達成できるのです。
等速円運動にこだわっていたコペルニクスが太陽中心説に移行したのは、この一様円運動速度という大原則を保持できたからだと言うのです。
実際、ギンガリッチは彼の著書「だれも読まなかったコペルニクス」(早川書房2005年刊)のp85に、“16世紀の天文学者の大半は“エカント”を取り除いたことがコペルニクスの最大の功績だと考えていた。それが、永続的な天体運動は円状で一様である、あるいは円状で一様な部分から成るべきだ、という古代からの美的原理に合致していたからだ。”と記しています。
プトレマイオスの宇宙は、2.(2)1で引用したエイトンの本に記載されている様に、“諸惑星の天球(つまり離心球と周転円を内部に組み込んだ同心の球殻)は、ある天球の最小地心距離がすぐ下(内側)の天球の最大地心距離に等しくなる様に配置されていた。” ここで、地心距離とは地球の中心からの距離の事です。
そのため、地球からどれかまでの天体の距離が定められれば全ての(各惑星が所属する)天球の大きさが定まる。プトレマイオスは「アルマゲスト」第5巻第15章に記載されているように、月までの距離が地球半径の59倍、太陽までの距離が地球半径の1210倍程度と考えていたから、2.(2)の図にある他の惑星球までの大きさが全て定まることになる。そして、その外側に天球をちりばめている恒星世界が存在することになる。
その様にして定まった惑星系を含む恒星天球までの距離は、2.(2)1で引用したトゥーマーの記述によると、地球半径の20000倍程度であったようです。
これは奇しくも現実の地球から太陽までの距離にほぼ近いものです。ちなみに、地球の公転半径は地球半径の約1.5×1011/6.36×106=2.36×104≒23600倍程度なのですから。
一方コペルニクスはどうしたかというと、3.(1)3.の最後で説明したように太陽系における各惑星軌道の相対的な距離は完全に決定できたのですが、その絶対的大きさはプトレマイオスと同様にやはり決める事はできませんでした。
そのとき、コペルニクスは、太陽中心説にするとティコ・ブラーエモデルで説明した“年周視差の問題”が生じる事は充分承知していました。そのため、コペルニクスは、この問題を天球上にちりばめられた星々までの距離が太陽系の大きさよりも遙かに大きいとすることによって切り抜けることにした様です。つまり、コペルニクスの宇宙はプトレマイオスの宇宙よりもはるかに広大なものになった。
そうして、“万能の創造主たる神が創りたもうた世界は、疑いようもなく、かくも広大なのである。”と著書(第1巻10章)の中に記した。ところが、この記述がカトリック教会の検閲者の神経を逆なでしたようです。
この当たりを説明したギンガリッチの文章を引用しておきますのでご覧下さい。
コペルニクスの宇宙観そのものについては高橋憲一訳・著「コペルニクス・天球回転論」みすず書房(1993年刊)のp40をお読み下さい。また訂正を命じた教皇庁の布告もp74〜75に附録として引用されています。
[補足説明1]
この節の内容、特に“エカント”の概念は、少し難しいのですが、第4.章で説明するケプラーの楕円軌道の意義を理解するために必要です。そのため、別稿「プトレマイオス天動説のエカントとコペルニクス地動説の周転円」で説明しておりますのでご覧下さい。
1609年にガリレオ・ガリレイ(1564〜1642年)はオランダの眼鏡師がつくったという望遠鏡の話を知り、自らガラスレンズを磨いて今日ガリレオ式望遠鏡と言われるものを作った。当初のものは倍率6倍、9倍程度であったが、後に20倍のものを作り天の観察を始めた。そして1610年3月に出版した小さな本「星界の報告」で望遠鏡が明らかにした驚異の世界を報告した。[この節で引用した図版はジャン=ピエール・モーリ著「ガリレオ」創元社「知の再発見双書140」(2008年刊)より複写]
ガリレオの望遠鏡そのものについては別稿の[補足説明1]とそこの引用文をご覧下さい。
ガリレオが望遠鏡によって発見したこれらの事実は、それまでの宇宙観を根底から揺るがすものだった。ガリレオはコペルニクス説を説明する集大成とも言うべき「天文対話」を1632年に出版するが、即座に発禁処分となる。
ちなみに、ガリレオの物理学(力学)に関する成果の集大成である「新科学対話」の出版年は晩年の1638年です。
[補足説明1](2013年4月追記)
ガリレオ著「偽金鑑識官」中央公論新社が2009年に再版(1973年刊「世界の名著21ガリレオ」中の翻訳の再版)されたので、その該当ページを引用しておきます。この巻末にガリレオの詳しい年譜有り。
[補足説明2](2017年5月追記)
望遠鏡が天文学革命をもたらした事の説明記事をワインバーグ著「科学の発見」p230〜243から引用。
[補足説明3](2020年10月追記)
伊藤和行著「ガリレオ−望遠鏡が発見した宇宙−」中公新書(2013年刊)も是非ご覧下さい。
ケプラーはティコ・ブラーエの元に弟子入りし、ティコの遺産として彼の24年間にわたる膨大な惑星観測の位置データを受け継いだ。
ケプラーはチィコのデータを用いて次々と彼の理論を確かめていった。惑星軌道を決定するためのデータはすべてティコのノートの中にあったのだから、ティコのデータを手に入れたケプラーは天にも昇る喜びだったでしょうね。
ケプラーは火星の正確な公転周期が知りたかったが、地球も火星も楕円軌道を描いて運動しているので、見かけほど簡単ではない。そのためまず長年にわたる会合周期の変化を追跡した。
会合周期とは太陽−地球−惑星が一直線上に並んだ状態(衝)から、次にその状態(衝)が起こるまでの期間である。ただし楕円軌道故にその会合周期も時とともに変化している。かれはその変化の様子を調べて正確な会合周期780日を求めた。
次に会合周期T会合=780日と地球の公転周期T地=365日を用いて火星の公転周期T火=687日を決定した。その考え方を以下に記す。
火星の公転周期が決まると地球軌道が決定できる。火星は1公転周期の687日後には必ず同じ位置にいる。そのため太陽と火星の位置を定めると687日後の地球は、そのときの地球から見た天球上での太陽位置1’の反対側に直線をのばし、また地球から見た天球での火星位置1”の反対側に直線をのばした交点1にいる。同様に687×2日後の地球は2’の位置の反対側と、2”の反対側の直線の交点に2にいる。以下同様繰り返せば地球軌道が決定できる。
つまりケプラーはチィコの観測データのノートを繰って望みの日の天球上での太陽や火星の位置データ(天球上の緯度・経度)を取り出せば良かったのである。
地球軌道が一旦定まれば、任意の時刻の地球位置はその時刻の太陽位置(天球上の経度と緯度)をティコのデータから拾い出すことによりたちどころに求めることができる。すなわち地球は太陽位置の真反対側の緯度・経度方向と地球軌道との交点にいる。ケプラーは地球軌道の形と各時刻での位置を決定して次の事柄を明らかにした。
地球軌道を決定した後いよいよ火星軌道の決定に臨んだ。太陽と地球の位置が解っているので時刻Aでの火星は、そのときの太陽、火星の天球上での緯度・経度データから求まる直線Aα上にいることが知れる。またAより687日後には火星は同じ位置にいるはずである。そのとき地球はBの位置にいるが、そのときの太陽と火星の緯度・経度データから火星が存在するはずの直線A’α’が定まる。直線Aαと直線A’α’の交点こそ火星が存在する場所である。
別の日Bでの位置データとその687日後のB’における位置データを用いると、直線Bβと直線B’β’がもとまる。そしてその交点に火星はいることになる。
以後同様である。任意の時刻の地球位置とそれから687日後の地球位置から見た太陽と火星の天球上での緯度・経度データが解っていれば、そのときの火星の位置が求まる。後はティコの観測ノートのページをめくるだけである。何とも素晴らしい方法をケプラーは思いついた。
火星軌道が決まれば地球から見た任意時刻の火星の緯度・経度データはあるので火星の軌道上での時刻を決めるのは簡単である。火星軌道を求めたことにより以下の法則を見つけた(1609年)
[補足説明1]
ここで、注意して欲しいことは、前節(5)で解ったのは、火星軌道が楕円形をしていると言うことではない事です。別稿「プトレマイオス天動説のエカントとコペルニクス地動説の周転円」3.(2)1.[補足説明]で説明しているように、火星の離心率0.0933の楕円と、その楕円の長半軸とおなじ半径の円を描いてみて比較してみれば楕円と円の形の上での違いはほとんどないことが解ります。だからティコ・ブラーエの観測データがいくら正確だったと言っても、直接楕円と円の形の違いを見極めて楕円軌道を発見したわけではありません。
ケプラーは前節(5)の方法で、その形は円とほとんど変わらない楕円上における惑星(火星)の位置の時間経過を調べたのです。円軌道上を等角速度で運動するのと楕円軌道上を面積速度一定の法則で運動するのとではかなり違います。それは前記で引用した[補足説明]のように、運動の中心となる点が円の中心ではなくて楕円の焦点に成るからです。つまり、楕円軌道発見とは、この楕円の焦点が運動の原点である事を見つける事だったのです[4.(9)参照]。
太陽中心で見た場合の等角速度運動と面積速度一定運動との視角の差は中心差と言われるものですが、火星の場合には別稿「楕円軌道とケプラー方程式」4.(3)2.[補足説明3]で説明するように最大で11°近くに成ります。もちろん、その差のほとんどはプトレマイオスのエカントやコペルニクスの周転円で説明されていた[3.(3)参照]。しかし、ティコ・ブラーエの観測データは、それらのモデルから計算される理論値との微少な差を示していたのです。
3.(3)で述べた“プトレマイオスのエカントモデル”や“コペルニクスの周転円モデル”が予測する位置との差は最大で8′近くになった。この差はティコ・ブラーエの観測精度から考えると無視できないものでした。その差を追求する過程で拠り所となったのが、同時に発見される面積速度一定の法則です。実際には、この面積速度一定の法則を発見するまでにも紆余曲折の混乱がありましたし、楕円軌道である事を発見するまでにも厖大な計算を繰り返さねば成りませんでした。その当たりは文献3.に簡単な説明があります。
いずれにしても厖大な苦労の末に、最終的にこの差を正確に説明することができた。それが太陽を焦点とする“楕円軌道法則”と“面積速度一定の法則”だったのです。
火星の方法を他の5惑星に適応した。その軌道半径と公転周期を比較することから以下の法則を見つけた(1619年)
楕円とは以下の性質を持つものであり、離心率は以下のように定義される。幸運にもケプラーが最初に選んだ火星は例外的に大きな離心率の惑星であった。ただし、別稿「プトレマイオス天動説のエカントとコペルニクス地動説の周転円」3.(2)1.[補足説明]で説明しているように、その火星軌道でさえも真円との違いはごくわずかです。
水星の方が火星よりも離心率は大きいのですが、太陽に近い軌道を公転しているため、古来より観測が困難で、観測データが十分得られていなかった。
ケプラー第二法則(面積速度一定の法則)は下図の様に、同一期間で惑星がスイープする面積が等しいことを意味する。
この法則は、後にニュートンにより「慣性の法則(運動の第一法則)」と「運動の第二法則」というより根元的な法則から導き出される。
その手順を以下で説明しますが、より詳しくは、「プリンキピア」第T編命題1を参照されてください。
「慣性の法則」は”力を受けない物体は等速直線運動をする”というものですが、この法則は次のような面積法則に言いかえられる。
物体の動く様子をある1点Oから見ると、面積a、b、c・・・・・が等しくなる。
上記の結論は、物体に力が働いていても、その力がいつも中心Oの方向をむく(あるいはその反対の外向き)ような場合に一般化できる。そのとき上記の「慣性の法則」に付け加えて、ニュートンの「運動の第二法則つまり”力は力の方向に加速度を付け加える(加速度とは単位時間に付け加わる速度のこと)”」をもちいると面積速度一定の法則が導ける。
命題1・定理1[力が向心力ならば面積速度が一定]
物体が不動の中心に向かう力を受けながら運動するとき、力の中心を物体に結ぶ直線(動径)は、一定の不動の平面内で回転し、回転によって掃過する面積は時間に比例する。
第二法則(面積速度一定の法則)は、力学で習う角運動量保存則と同じです。この法則は力が中心力でありさえすれば一般的に成り立つ。引力の大きさが距離の逆二乗法則に従う必要はありません。(詳細は別稿「質点の二次元運動」3.(3)を参照)
逆二乗であることと深く関わるのは、次に述べる第三法則です。
この法則はやがてニュートンの「運動の第二法則」と「万有引力の法則」に発展していき、力学理論に基づく近代的な天文学のいしずえとなる。その当たりの事情は高校物理で習いますが、この三つの法則の関係を円運動の場合で簡単に説明します。
このとき以下の事に注意されたし。
ここまで、ケプラーが発見した惑星軌道の形や惑星の運動の様子を説明した来ましたが、ケプラーは惑星の運動がどのようにして駆動されると考えていたのだろうか?
1.(2)3.で説明した地球中心説を信奉するアリストテレスは、ギンガリッチの説明によると、次の様に考えていたようです。
地球は中心にしっかりと固定されており、天体の運動は地球を取り巻く宇宙体系の最外層で始まる。階層状になった天球が神の愛によって回転し、動力は徐々に速度を落として、外側の天球から内側の天球へと伝達される。そのため中心近くの月を運ぶ天球は一週するのに約25時間かかるが、恒星の回転速度はもっと速く24時間で一週する。
一方ケプラーは、太陽中心説の意味合いをもっと前面に出した。惑星を動かす力は太陽そのものに存在する。惑星を動かす力は内から外へ向かう。そのため中心に近い惑星ほど太陽の周りを速く回る。地球は太陽に最も近づくとき、太陽からの動力を最も効率よく吸収して動きが速くなり、太陽から遠ざかると遅くなる。このように考えたようです。
実際、この運動力学的な考え方が楕円軌道(つまり、その焦点が運動の原点となる)の発見に大きく貢献したと科学史研究家は推測しています。
ケプラーの天体力学のもう少し詳しい説明が、クリストファー・ウォーカー篇「望遠鏡以前の天文学」恒星社厚生閣(2008年刊)のN・M・スワドロー分担執筆、第10章.“ルネサンスの天文学”にあります。別稿で引用しておきますのでご覧下さい。
この稿を作った頃(2003年2月)は、参考にした文献を挙げて感謝する事をしていませんでした。最近(2015年6月)古典天文学関係の本を読み直す機会がありまして、この稿の元になった授業プリントを作った当時(1985年頃)に参考にしたと思われる本が解りました。遅ればせながら記して感謝いたします。下記以外にも沢山の本を参照したのですが、詳細は忘れました。
[2006.1.7追記]
2005年に出版されたオーウェン・ギンガリッチ著「誰も読まなかったコペルニクス」早川書房はとても面白い。特にコペルニクスの周転円とプトレマイオス体系のエカントの関係(P48、82-85、335-338)、プトレマイオス体系の周転円神話(P87-91)、ヴィッティッヒの体系(P108、139-153)について興味深
い記述がある。この中の第10章“宇宙の中心”を別稿で引用。
[2013.4.3追記]
2012年5月に出版されたマイク・ブラウン著「冥王星を殺したのは私です」飛鳥新社とても面白い。惑星探査の詳細、その発見ドラマ、天文学者の生き様、等々・・・、第一級の面白さです。
[2015.6.28追記]
2008年に出版されたクリストファー・ウォーカー篇「望遠鏡以前の天文学」恒星社厚生閣には、この稿に関係した興味深い記述が多々ありますので、是非ご覧下さい。ただし簡潔に書かれているので、読みこなすのはかなり難しい。
[2017.5.19追記]
2016年5月に出版されたスティーヴン・ワインバーグ著「科学の発見」は読みやすくて解りやすい。内容的には今ひとつですが、ワインバーグ流の興味深い意見が色々な所で展開されています。
このページに関係する第7章“太陽、月、地球の計測”と第8章“惑星という大問題”と第11章の一部を別稿で引用。
[2020.10.14 参考文献の追記]
伊藤和行著「ガリレオ−望遠鏡が発見した宇宙−」中公新書(2013年刊)
最近読んだので紹介が遅れました。ガリレオが望遠鏡で発見した宇宙についてとても詳しく説明されています。巻末の参考文献一覧も貴重です。