別稿「古典天文学(プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー)」3.(3)で、プトレマイオスの地球中心説(天動説)におけるエカントの役割と、コペルニクスの太陽中心説(地動説)における小周転円の役割について説明しました。
この稿では、その両者の数学的な詳細と、さらにケプラーの楕円軌道との関係を説明します。これは参考文献1.のフレッド・ホイル著「コペルニクス」第T章と第W章を解りやすく説明するものです。上記別稿3.(3)の補足記述を参照されながらお読み下さい。
別稿「古典天文学」1.(3)で説明したように、太陽中心の宇宙体系はヘラクレイデスやアリスタルコスがすでに気づいていたことです。しかし、ヒッパルコスやプトレマイオスは、彼らの説を退けます。それは、惑星運動の詳細、特に軌道が楕円である事から来る偏差「中心差」を説明できなかったからです。その偏差を旨く説明したのが離心円とプトレマイオスが導入したエカントです。この二つの概念の導入によって惑星の運動が極めて旨く説明できるようになりました。それ故にヒッパルコス→プトレマイオスの宇宙観は千五百年もの長い間命脈を保ち信奉され続けた。
コペルニクスは、その人生の早い時期(1513年頃)に、太陽中心説を再発見していたと考えられています。(そのことから科学史家はコペルニクスの草稿「コメンタリオルス」が書かれた年代を1510年代の前半だと推測している。以前はホイルの様に草稿は「回転について」の記述が進んでいた1533年頃と推測していた。)
ところが、単純な円形軌道では、太陽中心説に移行して周転円を取り除けたとしても、軌道が楕円であることに由来する「中心差」の問題は解決できない。このことがコペルニクスを悩まし、最終的な成果「回転について」に結実するのに時間を要したと考えられています。
ホイルはまさに、そのことに焦点をあててコペルニクスの偉大さを説明しています。つまり太陽中心説にしたことよりも、太陽中心説において「中心差」を旨く説明できたことが偉大なのだと言うのです。だからこそ、ケプラーの発見に繋がるのだと言うのです。確かに言われてみれば目から鱗が落ちる思いです。
周転円モデルの段階では、プトレマイオス宇宙もコペルニクス宇宙も数学的に等価です。しかも、プトレマイオス宇宙は離心円とエカントによって「中心差」も旨く説明していたのですから、ケプラーの太陽中心の楕円軌道説の発見の前段階としては、太陽中心説でも「中心差」が説明できる可能性を示さないと太陽中心説の優位性は確立しません。
ただし、それはホイルが文献1.第T章で説明しているように、今日の数学的観点から見て極めて困難なことでした。
ホイルは以下の様に述べています。(第T章p3を少し改変)
“惑星が示す複雑極まる観測事実を正確に説明する理論(すなわち万有引力の法則と運動の法則)を構築することは、現代の素粒子が示していた複雑極まる数々の性質を全て旨く説明する素粒子の構造の法則を発見する事よりもやさしかったかどうかは疑問である。”(実際、プトレマイオスの「アルマゲスト」、コペルニクスの「回転について」、ケプラーの「新天文学」、ニュートンの「プリンキピア」の中身は、その困難性を如実に示している。我々の様な凡人には、その中身を理解することは容易ではありません。それだからこそ、上記の書物には膨大な数の注釈書・解説書が書かれることになった。現在の科学史家は、彼らの考察の注釈で生計を立てていると言ってもよい。まさに天才だけがなしえる仕事です。)
“我々の科学は惑星運動を問題にした時代から何世紀もへだたっているが、両方の場合とも、その手続きは同じであって、まず経験的事実をみつけること、次に系統的な規則性を見いだすこと、そしてそのあとで、その規則性の理由を見つける事なのである。”
まさに至言です。
今日、惑星が楕円軌道を描き、面積速度一定の法則でその軌道上を移動することは解っています。このことを出発点として、逆にプトレマイオスとコペルニクスの宇宙体系を導いてみる。そうすればプトレマイオスとコペルニクスの業績の偉大さが良く解る。
つまり、プトレマイオスやコペルニクスの宇宙体系がいかに観測を旨く説明していたかという問題を、プトレマイオスとコペルニクスの宇宙体系を楕円軌道と比べる問題に焼き直す。そうすると彼らの業績がより解りやすく理解できる。
プトレマイオスとコペルニクスが観測データを正しく再現するにはどのようなモデルにしなければならないのかを探求し苦しんだ歴史的過程を追いかける代わりに、正しい理論から出発して、プトレマイオスやコペルニクスが発見した宇宙に到達するためには、どれくらい後戻りしなければならないかを調べてみる。そうすれば彼らの苦しんだ所の本質が良く解るし、彼らの業績の偉大さが解るだろう。
すでに、楕円の極座標表示を別稿「二次曲線の性質」5.で説明しました。
また、惑星の軌道が楕円となることを別稿「質点の二次元運動(放物運動、楕円運動)」3.で説明しました。そのとき3.(3)(c)2.で注意したように数学的な証明はしていないのですが、証明はそこに挙げた参考文献をご覧下さい。
さらに、楕円惑星軌道を極座標表示した式を別稿「惑星探査機の軌道と飛行速度」6.で説明しました。
これらの結論を用いると、下図の様な楕円軌道は以下の式で表される。
ここで、rは太陽から測った惑星までの距離、eは楕円の離心率、φは太陽からみた惑星の動径が長軸と成す角度です。
ここで、楕円について復習すると
となる。近日点距離はrmin=a−c=a(1−e)、遠日点距離はrmax=a+c=a(1+e)となる。これは楕円の極座標表示(1)式のθに0とπを代入して求めてもよい。
一方、中心力の元での軌道運動に対しては、ケプラーの第2法則(面積速度一定の法則)が成り立ちます。
これは別稿「古典天文学(プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー)」4.(8)2.や別稿「質点の二次元運動(放物運動、楕円運動)」3.(3)a.で説明しましたが、働いている力が中心力の場合には簡単に証明できる。
いずれにしても
が成り立つ。
hは惑星の“動径が単位時間(1秒)にスイープする面積”ですが、これは時間に依存しない一定値です。
このとき、惑星の公転周期をTとして、惑星運動の“平均運動”nと言う量を導入する。惑星運動の角速度ω(t)は時間的に変動しますが、その平均値の様な量です。もちろん平均値そのものではありません。
惑星の動径が一周期Tの間に掃いて通った面積は楕円軌道の面積に一致するのて、nとhは以下の関係式で結ばれる。
前述の(1)(2)式よりrを消去すると
が得られる。
もしも、旨い具合に(3)式を時間tに関して積分できて関数φ(t)を得ることができれば、φ(t)は時刻tにおける惑星の日心軌道経度を与える。そして、これを(1)式に代入して得られる式r(t)は軌道の動径の時間的な変化を与える式となる。
一見すると、前項の(3)式を
の様に変形すると、時間tおよびφに関する積分は簡単にできそうです。
しかし、残念なことに、(4)式の積分は簡単に実施することはできません。無限級数として与えられるだけです。その形は
となる。
これを(1)式に代入すると、rに対して、同じく無限級数
となる。[(5)(6)式は別稿「楕円軌道とケプラー方程式」4.(2)と(3)参照]
これはあくまで太陽を中心とした時の解です。彼らがしなければならなかったのは、地球を中心として観測された惑星運動の経度時間変化を説明することですから、上記の式をさらに組み合わせた形の級数項を求めなければならなかった。
無限級数でしか求まらないという数学的な事実こそが、プトレマイオスやコペルニクスが挑戦しなければならなかった事の困難性を示している。
惑星運動の観測値からこれらの級数項の形を定めることは、想像を絶する困難な挑戦だったろう。
プトレマイオス、コペルニクス、ケプラーが長ったらしい計算によってなんとかしようとしていたのは、この級数項を試行錯誤によって見つける事だった。離心率の高次の項になればなるほど、この仕事はどんどん難しくなっていったであろう。まさに天才だけがなしえる仕事です。
その、想像を絶する困難のなかで、コペルニクスはかなり良いn(つまり公転周期T)の値、まあまあ良かろうというeの値、そして非常に良いaの値を得た。aはもちろん地球を1としたときの相対値ですが、それは以下のような値でした。
様々な力学の教科書を調べたのですが、(4)式の積分が不可能なことの説明はほとんど見かけません。多くの力学教科書に載っているのは、別稿「エネルギー保存則の証明」3.で説明した振り子(球面振り子も含む)の振れ幅θ(t)の時間に関する微分方程式の積分が楕円積分になって初等的に解けないと言うことだけです
[このあたりは友近晋著「楕円函数論」河出書房(1942年刊)が詳しい]。
(4)式の積分不可能性を説明してもらえば、プトレマイオスやコペルニクスが直面した困難の本質や、その困難を克服して得た彼らの成果の偉大さが良く解るのですが、残念なことに多くの力学教科書の惑星運動の項目でこのことが説明されることはありません。
私が見つけた、ケプラー問題(4)式の記述がある力学教科書は、E.T.Whittaker著“A Treaties on the Analytical Dynamics of Particles and Rigid Bodies”,Cambridge Uni. Press(1965年刊)p89〜91 だけでした。
結局のところホイルが指摘しているように惑星の位置(r,θ)を時間tの簡単な関数で表すことができないから、力学教科書で説明されないようです。この当たりは天文学(天体力学)の教科書を勉強する必要があります。詳細は別稿「楕円軌道とケプラー方程式」で説明。
現在解っている惑星軌道のデータは下表の様になる。
本来楕円軌道であるものを、太陽の近くにその中心がある円軌道でおきかえると、惑星の(楕円軌道)観測値と(円軌道)理論値との間の角度差の平均はラジアン単位(1rad=57°)で測って離心率程度になる。別稿の[補足説明3]を参照。
一番大きな離心率を持った水星の場合を計算してみると、太陽から見たときの誤差は平均15度程度となる。ところが、水星は地球よりも太陽の方に近く、さらに太陽の周りを回っている。そのため地球から見たときの(楕円軌道)観測地と(円軌道)理論値の誤差の平均値は5度程度となる。
水星の次に大きな離心率を持つ火星の場合、太陽から見たときの(楕円軌道)観測地と(円軌道)理論値との間の角度差の平均値は7度程度である。しかし、火星は水星と違って地球のすぐ外側の軌道を回っている。そのため地球から見たときの(楕円軌道)観測地と(円軌道)理論値との間の角度差の平均値は10度以上になる。
上記表の中で月は地球の周りを回っている。そのため月の運動の解析は簡単そうだが、実は最も難しい。
離心率から来る地球から見たときの(楕円軌道)観測地と(円軌道)理論値との間の角度差「中心差」の平均値は3度程度(最大6.29度)になる。
月の軌道(白道)は太陽の軌道(黄道)に対して約5°傾いているが、両軌道の交点はかなり速い速度(周期=約18.6年)で移動(歳差運動)する。また白道の近地点は周期約8.85年で月の公転方向に回転する。
さらに、月は地球と太陽の両方からの引力の元で軌道運動をしている。そのとき、月と太陽の間の距離が月の公転によって変動するため太陽の引力がかなり変化して月の軌道を歪ませる。これが、地球から見たときの観測地と(円軌道)理論値との間の角度差を生じる。これを主な原因とする偏差を「出差」という。これはプトレマイオスが発見したことですが、プトレマイオスやコペルニクスはその偏差を説明するのに非常に苦労することになる。プトレマイオスの月理論はこちらを参照およびこちらを参照。コペルニクスの月理論はこちらを参照。
月の軌道はこれ以外にも様々な要因でふらふらと変動しており、月の運動を記述するのは極めて難しい。その当たりの説明を別稿にて引用しておきますのでご覧下さい。
次の写真は、プトレマイオスとコペルニクスが挑戦した仕事がどんなに困難なものであったかを示すためにホイルが挙げているものです。プトレマイオスの苦労の一端を解説した歴史家トゥーマーの文章を引用。
ホイルは文献1.で次のように説明しています。ただし、記号はこの稿に合わせて変更しています。
“ケプラーが問題を解決すことに成功したのは、上述の二つの級数(5)式と(6)式を推測するという問題に真正面から取り組むことをやめたからである。そのかわり、ケプラーは軌道の形を決定する、たとえば時間ではなく下図に示すφを使ってrを決定する、という問題に取り組んだのである。
この接近のしかたによると、答えはきれいに、しかもかなり簡単になって、φとともにrは
のように変化する。ケプラーは、この関係式が一つの楕円を決定すること、そしてrと(7)式とを結び付ける比例定数は普通の数学的方法でaとeとに関係づけられるべきだと言うことをすぐに導いた。すなわち
である。”
“次には、惑星が、いま解った軌道の上をどのように運動するのか、という問題が残っている。この問題は、別のすばらしく顕著な発見によって解決された。すなわちそれは、一つの惑星は、等しい時間内にその楕円の等しい面積をなでまわすようにして動き、惑星が楕円を1周する時間が、まさに既知の周期Tである、と言うものである。”
“もう一つの顕著な発見は、経験的に決定されたTとaとの間には、T2がa3に比例するという関係があるというもので、この事実はコペルニクスにもわかっていたようだが、彼が重視していたようには思えない。この関係は、ケプラーの他の諸発見と同じように、80年後に力学理論を利用できるようになるまでは経験的なものにとどまっていた。”
“明らかに手に負えないと考えられていた惑星運動を記述するという問題は、全く突然に、簡単なものと思われるようになった。ケプラーが(1)式を発見したそのときから、近代科学の進路が決まったのである。そこまでは、そこで科学が威力を発揮できるような本道にしっかりしたものが何もなかった。・・・・・・・・・・・
・・・・・・今日、我々がコペルニクスの仕事は非常に重要なものだったと判断する理由は、彼が、正確に正しい点(そこでは、自然は簡単にその秘密を打ち明けてしまう)に世界中の人々の注意を向けさせたことである。登山用語で言えば、コペルニクスは「攻撃点」を見いだしたのである。”
[補足説明]
確かに(1)式の求め方なら、ほとんどの力学教科書で説明されています。多くの場合はエネルギー保存則を使って解いていますが、そんなに難しくありません。適当な教科書をご覧ください。
またケプラーの第二法則(面積速度一定の法則)は角運動量保存則そのものであり、それを証明することはすでに説明したように簡単です。
ただし、それは運動の法則と万有引力の法則が確立された後の話で、プトレマイオス→コペルニクス→ケプラーの挑戦はその根本的な法則を発見するためのものです。根本法則が発見された後の見通しの良さに比べて、その根本法則を見つけるための挑戦がいかに困難なものか!ホイルの言うように素粒子理論の発見よりも難しかったかもしれませんね。
惑星位置の時間的な変化を複素数で表す。高校数学で習う“複素数のオイラー表現”と2.(1)2.で求めたφ(t)とr(t)の級数表現(5)、(6)式を用いると
となる。複素数のオイラー表現についてはこちらを参照されたし。
これからは問題を、離心率eの1次までだけを考えてすすめる事にする。そうすると上記の式は
となる。これが以下の議論の出発点です。
(8)式は、eの1次までの近似で、惑星の位置Pは次の規則に従って表すことができることを示している。
これらの規則を図示すると
となる。この図において、点Kは固定されている。時間tが変化するにつれて、点Lは半径aの円周上を角速度nでKの周りに運動するが、その回転方向は反時計回り(左回り)である。惑星Pは、半径1/2aeの円を描いて角速度2nで、やはり反時計回り(左回り)に点Lの周りを動く。
そのとき、Lに対するPの回転角速度が、Kに対するLの回転角速度の2倍であることに注意されたし。そのために近日点では惑星の速度は速くなり、遠日点では遅くなる。
また、KSの距離とPLの半径を上記の様にとれば、円軌道で近似したのではあるが、一応太陽Sが楕円の焦点の位置となり、実際の円軌道の中心(K点とS点を1:2に内分する点)が楕円の中心となることにも注意されたし。このことについては以下の補足説明も参照されたし。
これが、別稿「古典天文学」3.(3)2.で説明したものです。つまり、コペルニクスの“離心円”と“小周転円”を導入した太陽中心説です。そこで説明したように、惑星Pの軌跡はK点とS点を1:2に内分する点(SからKの方向へ距離aeだけ移動した点)を中心とした、半径KLの円(厳密には完全な円ではない)でした。
[補足説明]
ここで、以下の議論にも関係する重要な注意をします。
文献4.p216〜217でギンガリッチも強調しているように、惑星軌道の離心率(つまり天動説の場合太陽軌道の中心が地球とどれだけ離れているか、地動説の場合地球軌道の中心が太陽とどれだけ離れているか)は非常に目立つが、軌道の形が円からどれだけ歪んでいるかはほとんど解らない。
このことは、2.(1)1.の図で説明した離心率の式を用いてaとbを計算してみると直ちに了解できる。
例えば、ケプラーが楕円軌道を発見した火星軌道(e=0.0933)の場合、仮に長半軸a=10cmとすると短半軸bは
となり、長半軸aと短半軸bの差は僅かa−b=0.5mmしかない。つまり円軌道をコンパスで描くと、楕円軌道はその線幅の中に埋もれてしまう。
一方楕円の中心と焦点との距離cは
となり、1cm近くある。これは無視できません。
この簡単な計算から解る様に、楕円軌道は円軌道とほとんど変わらない。だからプトレマイオスやコペルニクスにとって重要なのはその円軌道上を移動する惑星の前後の時間的な変動を説明することだった。軌道の形そのものを決定できるような精密な観測データは、プトレマイオスにしてもコペルニクスにしても入手しようが無かった。
ティコ・ブラーエが膨大な量の正確な観測を行って初めて必要なデータが得られるようになり、そのデータが使えたからこそケプラーが、火星の軌道が楕円であることが発見できた。
だから、この稿では惑星軌道の形を全て円で論じますが、軌道の形を楕円ではなく円としたために生じる誤差はプトレマイオスやコペルニクスの理論に於いてはほとんど問題にならない。
実際のところ、コペルニクスは前項の運動からの些細なずれを検出していた様です。そのため初期の研究に於いて、さらに改良を試みていたようですが、結局それは捨て去られた。
結局のところ、点Lの周りを回る小さな円は、地球の場合には省略された。また、コペルニクスは、地球の場合は別にして、他の全ての惑星に対する太陽の位置Sを、地球の場合に対して定められた点Kにしてしまった。このことは、惑星運動に対するコペルニクスの理論が、離心率の1次の段階ですでに、太陽中心説ではなかっ事を意味している。
しかしながら、コペルニクスは、当時利用できたデータに含まれている全ての問題に真正面から取り組んでいた。惑星軌道は、我々がこれまでにそうだとしてきた様な厳密な楕円ではない。任意の惑星は、その重力によって他の惑星の軌道を乱すのである。大部分の場合は、その影響はほんの僅かではあるが、確かに存在するのである。
前図の直線SKが、地球の軌道に対してゆっくり変化している事を、アラビアの天文学者たちの観測とギリシヤ人たちの観測との比較からコペルニクスは見いだしていた。
また、幾つかの観測値の比較から、地球軌道全体がまるで振動しているように変化するのを見つけていた。彼はこれを“けいれん”と呼んだ。
月は、太陽の重力の影響を受けてその公転軌道を大きく歪ませる。このゆがみを説明するのにコペルニクスは苦しみ悩まされた。
このような、沢山な小運動(軌道の変動)の事実をコペルニクスはできるだけ簡単な方法でつくる事を試みたが多くは旨くいかなかった。コペルニクスはあまりにも几帳面すぎたのである。
3.(1)の(7)式に立ち返って、それをもう少し別な形に変形してみる。
という形に書き直せる。
これから、次の様な規則を打ち立てると、再び離心率の1次までの近似で正しい惑星の位置Pを与える事ができる。
このとき点S(太陽)と点Aの中間の点Cを中心とする半径aの円を描くと、上記の点Pはほぼこの円の上を動くことが解る。完全に円の上を動くわけではないのですが、eが一般に小さい値であるのでKPの距離はほぼa+ae・cosntで近似できるからです。
ここで注意してすべきは、直線CPが一様な角速度で回転するのではなくて、動径APが一様な角速度nで回転することです。
この点Aは、まさしく別稿「古典天文学」3.(3)1.で説明したプトレマイオスが導入した“エカント”点です。そしてCを中心とした半径aの円が、そこで説明した“離心円”です。円の中心Cが太陽Sからaeだけ離れた点にあるので離心円と言われる。
コペルニクスはプトレマイオスの説を詳しく研究していましたから、惑星運動がこのようなやり方でも旨く表されることを当然知っていました。しかし彼は、点Pが円の中心であるC点の周りを一様でない早さで回転するという考え方を好まなかった。
ケプラーは、このような事には無頓着で、前項のコペルニクスの周転円よりも、プトレマイオスのエカントの方が良いと考えていたようです。そして、この方向の考察を追求することで楕円軌道を発見した。
ホイルのやり方に従ってプトレマイオスの宇宙を導いてみる。
まず、太陽に対する地球の位置は
となる。
さらに、任意の惑星Pに対しても同様な式が成り立つので
となる。
ここで、地球に対する式に置いて t の代わりに(t−tE)と置いたのは地球Eと惑星Pの軌道の近日点が同じ方向とは限らないからです。今まで議論した式において、時間は惑星が近日点にあった瞬間を起点にして測っていた事を思い出せば、そうしなければならない理由が解ります。つまり、地球に対する式中の
nEtE は地球Eと惑星Pの近日点の方向の差分を表している。
さらに注意して欲しいことは、地球の場合の−2aEeEは今までのような実数ではありません。上記のnEtEの差分だけ実軸とは傾いた方向の地球のエカント点(離心円中心はその途中にある)を表す複素数です。
惑星Pの地球Eに対する相対的な位置は、(11)式から(12)式を引き算すれば与えられる。
ここで、地球の軌道を楕円(離心円)ではなくて円と見なす近似を用いている。実際、地球軌道の離心率は(金星を除いた)惑星軌道よりも小さいので、簡単化する場合にePではなくて、eEの方を省略するのは利に叶っている。金星の場合については、後で説明するように、プトレマイオスは違うやり方をした。
zP−zE が下図に示すプトレマイオス宇宙の地球中心モデルにおける惑星Pの軌道となる。
このとき、次のことに注意して下さい。地球Eから見た太陽Sの軌道は−zEで表現される。そのため、周転円は、太陽に対する惑星Pの軌道ではなくて、太陽に対する地球の軌道を表しており、誘導円は、太陽に対する地球の軌道ではなくて、太陽に対する惑星Pの軌道を表している。
プトレマイオスは、太陽中心ではなくて地球中心を採用したために、(12)式から(13)式に移行するときに、周転円(太陽に対する地球軌道)におけるエカント点と軌道半径の変化を示す小さな項を省略せざるを得なかった。コペルニクスの様に太陽を中心とする説を採用すればこの小さな項を省略する必要はなかったであろう。
前項の図は離心率が拡大されており、しかもES=LPとして描かれているが、実際のプトレマイオス宇宙とコペルニクス宇宙におけるESとLPの大きさの比は別稿「古典天文学(プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー)」3.(1)3.で説明したようにして定められる。
例として、惑星Pを火星としたときの太陽S・惑星P・地球Eの位置関係を示す図を描くと
となる。図中の二つの空色三角形は互いに相似です。プトレマイオス説とコペルニクス説の位置関係はなかなか解りにくいのですが、別稿「古典天文学(プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー)」3.(1)3.を復習されながらご覧下さい。
厳密に言うと、上図のaPを測るときの中心点は、上左図のプトレマイオスモデルではE点ではなくて前図で示したC点(aP=CL)であり、上右図のコペルニクスモデルではS点ではなくて3.(2)1.の図で説明したK点とS点を1:2に内分する点(aP=KL)です。
また、上右図のコペルニクスモデルでaEを測るときの中心点は上右図のS点ではなくて、3.(2)1.の図(惑星Pを地球Eで置き換える)で説明したK点とS点を1:2に内分する点(aE=KL)です。ただし、コペルニクスは地球の場合は小周転円を省略して単なる離心円モデルにしたのですから、その場合にはKS=aeとしたK点(aE=KL)となります。
下表のaP/aEは、その様にして定まる中心から測った値を用いたものです。比較の対称とした現代のaPとaEの値は、3.(2)1.[補足説明]を考慮すると、楕円軌道の平均軌道半径=(長半軸a+短半軸b)/2を用いるべきです。ただしこの値は(rmin+rmax)/2={(a−c)+(a+c)}/2=aとほとんど差はない。
ホイルは、プトレマイオスとコペルニクスの理論で用いられた“aPとaEの値の比”を現在の値と比較して、以下の様に述べている(言い回しを少し改変)。
“上表で、プトレマイオスの欄の地球について入れるべきものが無いが、地球に対してはaP=aE=前々図においてPを地球としたときのCP間距離であることは明らかです(厳密には前図や上左図のES間距離ではない事に注意)。
これを見ると、プトレマイオスとコペルニクスの理論の精度にほとんど差が無かったことが解る。
このとき、現代の値とコペルニクスによって使われた値との食い違いは、プトレマイオスによって使われた値の食い違いと同じ方向にある。このことは、コペルニクスがプトレマイオスのデータを信頼していた度合いを示している。コペルニクスは、明らかにプトレマイオスの値を、彼自身の観測とアラビアの天文学者たちの観測とに基づいていくらか修正して、それらを研究の基礎として使用したのである。その事情は両方の理論で使われたePの値についても同じだった様に思われる。”
[補足説明]
プトレマイオスモデルのaEは惑星ごとに異なった値ですが、ap/aE値の中のaEを地球軌道半径と見なして一定にすれば、太陽系惑星軌道の相対的な大きさをプトレマイオスはすでに正確に求めていたことになる。
文献1.の最後でホイルは以下の様に説明しています。ただし、ここのところは私自身「アルマゲスト」と「回転について」を読んでいるわけではないので良く解りません。ホイルの説明を引用しているだけです。
3.(2)2.で説明したように、コペルニクスは、地球の場合は別にして、他の全ての惑星に対する太陽の位置Sを、地球の場合に対して定められた点Kにずらしてしまった。このことは、惑星運動に対するコペルニクスの理論が、離心率の1次の段階ですでに、太陽中心説ではなかっ事を意味している。
一方、3.(3)2.で説明したように、プトレマイオスも(12)式から(13)式に移行するときに、周転円(太陽に対する地球軌道)におけるエカント点と軌道半径の変化を示す小さな項を省略してしまった。
このことは、aEeEの程度の項が両方の理論で無視された事を意味する。そのため、経度方向に関する位置予測の精度は両理論でほとんど同じになる。
コペルニクスは太陽中心説だったので、全ての惑星軌道面が地球の軌道に対する点Kを通るとした。点Kは太陽とは異なるが、太陽に非常に近い位置にある。そのため、コペルニクスの取った方法は、太陽が全ての惑星軌道面内にあるという正しい事実と、ほとんど同じである。
一方、地球中心説を採ったプトレマイオスは、全ての軌道面が地球を通るとした。これはコペルニクスよりも悪い近似です。なぜなら、2.(2)の表に示すように、地球の公転軌道面と他の惑星の公転軌道面は小さい角度ではあるが、互いに交差している。そのため各惑星の軌道の中心を太陽ではなくて地球にすることは誤差を生じる原因になる。
つまり、緯度方向については、コペルニクス理論の方がプトレマイオス理論より精度は良かった。
[コペルニクスの上記の事柄について、ギンガリッチ文献4.のp206とp218〜219に興味深い記述がある。]
さらにホイルは、プトレマイオスの金星軌道について、以下の様になっていると説明している。ここも私自身「アルマゲスト」で確認したわけではありません。ホイルの説明です。
金星の離心率ePは地球の離心率eEよりも小さい。これは他の惑星軌道とは違う金星軌道の特徴です。そのためプトレマイオスは(12)式から(13)式へ移行するとき、eEではなくてePを省略した。すなわち
とした。
そのため作図は他の惑星の場合と同じだが、EC=AC=aEeEとなり、CLはaPではなくてaEに、LPはaEではなくてaPとなっている。
[補足説明1]
最後に、プトレマイオスの[離心円+(等角速度回転の)エカント]、コペルニクスの[(等角速度回転の)離心円+(2倍等角速度回転の)小周転円]、ケプラーの[楕円軌道+面積法則]のいずれもが、ほぼ同様な(惑星の)公転軌道速度を実現していることを確認しておきます。
3.(2)1.の補足説明で注意したように、離心率がかなり大きな火星軌道(e=0.0933)でも三者の与える軌道の形はほぼ同形の円となります。そのため下図は三者の軌道を全て同一の円で近似して描いてありますが本当は微妙に違います。このとき、前二者の離心円中心とケプラーの楕円焦点(太陽位置)の違いが重要です。
下図は火星(e=0.0933)の場合を実際の縮尺に基づいて示しています。
ケプラーの[楕円軌道+面積法則]
プトレマイオスの[離心円+エカント] n:平均運動(ある一定の角速度)
コペルニクスの[離心円+小周転円] n:平均運動(これはエカントの周りの平均運動と同じです)
となります。
v1を共通とすると、三者のやり方による公転軌道速度vが全ての位置においてほぼ等しくなることが解る。その一致の度合いは離心率eが小さくなるにつれてさらに良くなる。
[補足説明2]
そのとき、近日点と遠日点においては完全に等しいのですが、それ以外の位置では完全に等しいわけではなくて微妙に異なる。
上図ではその当たりが良く解らないので、離心率e=0.3の楕円で確認する。
楕円の焦点を通る動径の回転角の時間変化は2.(1)2.の(5)式を用いて計算すると
となる。
この値を用いて上記と同様のグラフ(e=0.3)を描くと
となる。
このとき、コペルニクスの理論点は、エカントとプトレマイオスの理論点を結ぶ直線の延長線上にあることが幾何学的に証明できる。つまりコペルニクスの理論点もプトレマイオスの理論点もエカント点に対して一様に回り、エカント点から見ると両者は常に同じ方向にある。その為、「中心差」を説明する上において、プトレマイオス説とコペルニクス説の違いはほとんどなく、ティコやケプラーの時代になっても観測によって確かめることはできなかった。だからケプラーはプトレマイオスのエカント運動を用いて自分の研究を始める。
両者の違いはコペルニクスの理論点がプトレマイオスの理論点よりもごく僅か外側(円の外)にずれていることです。そのため、太陽から見た場合には両理論点の方向は少し異なります。その角度差の最大値は火星の場合で約3’程度となる。この当たりの事情をケプラーは良く認識していた。[文献5.P238〜239を参照]
また、φ(t)を近日点から測ったとき、φ〜45°付近ではプトレマイオスの理論点が楕円軌道の理論点(観測値)よりも少し遅れ気味(約−8’程度)になり、φ〜135°付近ではプトレマイオスの理論点が楕円軌道の理論点(観測値)よりも少し進み気味(約+8’程度)になる。8’は満月の直径(0.5°≒30’)の1/4程度となるのですが、ティコ・ブラーエの観測誤差は1’以下であることを良く承知していたケプラーに取って、その違いは無視できないものでした。ケプラーはこの違いに着目して、その差の原因を徹底的に追求する。
いずれにしても、確かに三者の理論に微妙な違いがあるのが解る。ケプラーは、このごく僅かの違いを追求することによって真に正しい太陽を焦点とする“楕円軌道の法則”と“面積速度一定の法則”を発見することができた。
実際、ケプラーは最終的な結論を得るまでに、紆余曲折の困難に満ちた試行錯誤の連続で、膨大な労力を要する計算を積み重ねばならなかった。
[補足説明3]
プトレマイオス・コペルニクス理論と楕円軌道理論との差が[補足説明2]の赤太字強調文章の様に成ることは、φ(t)の無限級数展開のe2の項を見れば解ります。3.(1)で説明したようにプトレマイオス・コペルニクス理論はeの一次の項まで考慮したものでしたから、彼らの軌道と楕円軌道との主な差はsin2ntに比例して生じる事になるからです。
つまりケプラーはこの二次以上の項を徹底的に追求したのです。詳細は別稿の[補足説明4]を参照されたし。
参考文献1.はとても面白い。最近、改めて読み直して見たのですが、中にアンダーラインや書き込みが沢山してありまして、その箇所を吟味すると、以前「古典天文学」を作ったときこれから多くの示唆を受けかつ多くの事柄を利用させていただいた様です。かなり参考にしたようですので、ここで遅ればせながら改めて感謝いたします。
以前の「古典天文学」は文献1.の第V章の内容の説明だったのですが、この稿は文献1.の第T章と第W章の内容の説明です。ここはホイルの面目躍如たる所ですね。
「アルマゲスト」、「新天文学」、「プリンキピア」については現在邦訳で、我々のような素人でも読むことができます(しかし、私にとって読みこなすのは極めて難しい)。ところが、コペルニクスの「回転について(全6巻)」は、第1巻の邦訳しかありません。
これが他の3人に比べて、コペルニクスの偉大さが今一つ理解されない原因かもしれません。科学史の専門家が全巻を邦訳してくださるとよいのですが?
彼の考察がいかに深淵だったのかを、我々素人が感じ取れる様に(読めるとは言いません)なれば嬉しいですね。
[2017年11月追記]
文献2.の著者である高橋先生による完全翻訳版のコペルニクス「完訳 天球回転論」みすず書房(2017年10月刊)が出版されました。これこそ我々が待ち望んでいたものですね。