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独り言5

1.光速不変の原理

 相対性理論は物理学を学ぶ者にとって、最も興味深い分野ですから、私も学生の頃から機会あるごとに相対性理論の本を買っては読んでいました。しかし、それらの本の中で、ローレンツ変換やそれを用いて行う様々な現象の説明は何となく理解はできるのですが、いつも何処か曖昧でしっくりこなかったのです。
 それは、いま振り返ると“光速不変の原理”が納得・理解できなかったからなのですが、60歳をすぎるまでずっとそんな状況でした。
 ところが、4年前(2012年)に読み直したBornの「相対性理論」の中のこの記述(それと同時にSommerfeldのこの説明)に出会って全てが理解できました。(別稿「マイケルソン・モーリーの実験(1887年)」5.[補足説明5]もご覧下さい。)
 以前にBornの本を読んだ時にはまったく気付かなかったのですが、この認識『この中間で生ずることは純粋に仮想的であり、あるいはもっと正確に表現すれば、任意的である』こそが相対性理論を理解する為の第一の鍵(出発点)です。私自身、この認識に達して初めて“光速不変の原理”が納得できました。
 多くの本では光速不変の原理を“実験事実だから”という一言ですましています。アインシュタイン自身の“光速不変の原理”についての説明もあっさりしすぎています。相対性理論の難しさはすべてここにあるのですから、ここを納得する為にもっと多くの説明が必要なのではないでしょうか。

 このことが解ってから、Edmund Whittakerが
「A history of the theories of aether & electricity (Two Volumes Bound As One)」Dover
Volume T:The Classical Theories(「エーテルと電気の歴史(上巻)(下巻)」講談社 1976年刊)
という本を書いた理由が何となく推測できました。ホイッテーカーも上記に引用した“Bornの認識”を言いたいが為にこの本(第T部)を1910年に書いたのではないでしょうか。

 ただし、この本の第U部
Volume U:The Modern Theories 1900-1926)
を書いたのは40年後の1953年です。その中で、ホィテーカーは相対性理論を“ポアンカレとローレンツの相対性理論”として説明しており、アインシュタインの功績を不当に軽視しています。
 ホィテーカーが第U部の特殊相対性理論の部分でアインシュタインを引用しているのはp40〜42とp52の部分だけです。しかも fundamental principle としての“constancy of the velocity of light”の記述も他人ごとみたいな言い方をしており不可解です。
 上記の“Bornの認識”に至れば“光速不変の原理”こそが全ての根本であり、この原理から導かれる“時間の相対性”の認識こそが、時間と空間の概念を革命的に変えたのですから。

 相対性理論の成立に関してローレンツとポアンカレは最大の貢献をしたのは確かです。
 アインシュタインも繰り返し述べている(引用1引用2、引用3(文献108p32p169170))様に、『光(電磁波)を物質とは関係しない真空での出来事に還元して、真空中の光(電磁場)と荷電粒子のみからなる電磁気学(ローレンツの電子論)を作り上げること』こそが、上に引用した“Bornの認識”にいたるための最大の発見だった。そして、この認識があってこそ“光速不変の原理の発見”に至れる。
 この原理こそが全ての根本であり、これから導かれる“時間の相対性”の認識こそが、時間と空間の概念を革命的に変えたのですから。
 ホイッテーカーにとって、アインシュタインの発見した“時間の相対性”は“光速不変の原理”に従属した、付加的なことがらでしかないと思われたのでしょうか?

 

 多くの物理学者(Born文献508やPaisなどを含めて)が『ホイッテーカーの、上記の本に於ける、アインシュタイン軽視の態度』を強く批判しています。私もそう思います。ホィテーカーの上記の態度はとても不可解です。
 アインシュタインによる“時間の相対性”の発見は、それまでの時間と空間の概念を革命的に変える大発見です。“光速不変の原理”が大発見であることに決して劣るものではありません。
 私にとっても相対性理論を理解する第二の鍵はアインシュタインの言う“時間の相対性”を納得することだったのですから。

 

2.時間の相対性

 “時間の相対性”について、もう少し補足します。
 “光速不変の原理”と、それまでのガリレオ変換に対しての“物理法則の相対性”は互いに矛盾します。そのとき、アインシュタインに取って物理法則に対して成り立つ“相対性原理”は絶対に正しいと確信するものでしたから、彼はその矛盾に深く悩みます。
 そのとき、アインシュタインに取って相対性原理を作り上げる第二の鍵は、上記の矛盾を解決する“時間の相対性”に気付く事だったのです。その当たりの事情について、本稿でもかなりページ数をかけて説明しました。
 これに気付けば、ガリレオ変換からローレンツ変換に移行でき、それがすぐに導けます。ローレンツ変換さえ導ければ、相対性理論の完成までは一息です。
 実際、アインシュタインは5週間ばかりの間に確認計算をすまして、論文を一気に書き上げます。そして、相対性理論はこの物質世界に付いての驚くべき予言をつぎつぎと生みだします。その当たりは本文に記した通りです。

 それにしても、私はこのたび、ローレンツ変換による確認計算をたどりながら、1905年論文を読み直してみたのですが、この論文は簡潔な文体ながら、極めて明快で解り易くかつ完璧です。確かにこれは物理学の歴史に残る珠玉の大論文だと言うことが良く解りました。このことについてインフェルトの説明
 アインシュタインの1905年論文の価値を最初に認めたのはプランクです。彼は、この論文を読む過程で確認計算(私どもの稿で[補足説明]として示したもの)を実施したでしょう。これらの計算はプランクに取ってたやすいことだった。実際、プランクは論文中の幾つかの不明瞭な点を確認する手紙をすぐにアインシュタインに出している。この論文には幾つかの誤植や不明瞭な点(U§10の運動方程式の所)があるのですが、おそらくそれらの確認だろう。いずれにしても、プランクはこの論文の示す理論の整合性に驚嘆したようです。そして直ちにこの理論が本物であることを確信した。
 事実、後にアインシュタインをベルリンに招聘する為にプロシャの文部大臣宛に出した請願書のなかで、プランクはこの1905年論文について最大限の讃辞を述べている。(ゼーリッヒの文献503p127を参照)

 Sommerfeldは「光学」の最後で、“ドゥ・ブローイが(アインシュタイン70歳を記念する論文集で)相対論的力学のみが光子理論の要求する条件を満たすことを強調した”ことを紹介しています。実際ド・ブロイの物質波の仮説は特殊相対性理論に基礎を置くものであり、シュレーディンガーの量子力学はここから始まったわけですから、その意味に於いても、1905年論文はその後の近代物理学を展開する上での礎となったわけです。(「相対論的力学」3.(4)[補足説明4]

 プランク、ラウエ、ゾンマーフェルトなどは相対性理論が本物であることをかなり早い段階で認めた様ですが、このことに関して深く考察を進めてきたローレンツやポアンカレがアインシュタインの考え方にすぐに移行できたわけではないようです。
 パイスの文献502や1905年よりも後で出版されたローレンツの「電子論」などを読んでみると、ローレンツに取って“光速不変の原理”を納得するのは容易ではなかったようです。
 実際、我々に取って最も不思議なのはこの光速不変の原理です。多くの人が相対性理論が納得できないと言う原因はここにあるのですから。
 しかし、自然やこの世界はその様にできているのです。物質間の相互作用をつかさどる光(電磁場)はその様な性質を持っているのです。1905年論文における光行差やドップラー効果、そして光の圧力の導出法などを見ると特にそう感じます。その様に考えて初めて、それらの現象の説明に内在していた様々な疑問・矛盾が完璧に解決されたのですから。あらゆる実験・観察結果は相対性理論が正しいことを示しています。
 物質間の相互作用をつかさどるもう一つの力である重力についてはまだこの理論の中に組み込まれていません。その解答が一般相対性理論なのでしょう。(「一般相対性理論への道(アインシュタイン1907年〜1913年)」)

 

3.私事

 最後に私の事情を申し上げます。
 4年前(2012年)にこのBornの記述に気付いたことが、相対性理論のページを作ろうと思ったきっかけです。最初に、Born著「相対性理論」第W章“光学の基本法則”の記述に沿って「レーマー光速」「フィゾー光速」「フーコー光速」「フィゾー随伴係数」「フレネル随伴説」「マイケルソン・モーリー実験」などを作ってきました。
 しかし、「マイケルソン・モーリー実験」の稿がほぼできあがったとき、私自身の心臓疾患により僧帽弁形成手術を受けることになりました。その後、療養の為に1ヶ月以上無為に過ごす事になり、相対性理論に関連して読み進めていた本の内容をすっかり忘れてしまいました。また相対論を作る熱意がすっかりさめてしまいました。そのため相対性理論の稿を途中で投げ出すことになってしまいました。本来ならば、「マイケルソン・モーリー実験」の次に「ローレンツの電子論」の説明に入る計画だったのですが、それも中断してしまいました。
 そんな、こんなで、その後はまったく別のテーマのページを作っていました。

 ところが、昨年の夏(2015年の8月)頃から、長年放置してきた肩凝りからくる頭痛(頭が痺れる様な)とめまいに悩まされるようになりました。この症状は4〜5年前から生じてはいたのですが、そのたびにしばらくHPの更新作業を中止して休養すれば、頭痛・めまいは徐々に解消して元に戻っていたのです。ところが昨年の夏頃からいくら休養しても頭痛とめまいが無くならなくなりました。この症状は秋が深まり気温が下がって涼しくなってくるとますますひどくなり、とてもHPの更新作業ができるような状況では無くなりました。

 そのため悶々としてた日々を送っていたのですが、昨年の12月にドクタートロン(商品名)という高電圧電界治療器を購入して、毎日30〜60分の電気治療を始めました。その効果が出てきたのか、1月末頃になりますと頭痛とめまいも何とか我慢できる程度に軽減してきて光明が見えてきました。それで、しばらく放置していた「アインシュタインの特殊相対性理論」のページの作成を再開しようと思うようになりました。
 しかし、根を詰めた作業を続けると、すぐに肩凝りが生じて、頭痛とめまいが再発します。そのため、当初予定していた「ローレンツの電子論」は全て省略して、その代わりにBornの本の第X章“電気力学の基本法則”をそのまま利用させていただく事にしました。また本文も多くの先人が書かれた本のページをそのまま切り貼り・引用して利用させていただくことにしました。
 自分なりに納得できる形で書き直せば良いのですが、モニターを見つめてキーボード・マウス操作を続けているとすぐに肩凝り・頭痛・めまいが生じてきました。特にドクタートロンを初めてから3ヶ月目の2月ころは次々と首筋、上腕、背中などの凝りの症状が顕在化してきて体調は最悪でした。しかし3月になるころから高電圧電界治療の効果が出てきて頭痛やめまいは徐々に、本当に少しずつですが解消してきました。それで、少しずつですが書き進めることができました。
 私の体調不良のために、このページの記述は先人の方々の文章をそのままを羅列した形になってしまいました。確かに多くの先人の記述に助けられているのですが、先人の方々の卓見によりそれなりに理解していただける稿になったのではと思っています。

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