およその所は別稿「マイケルソン・モーリーの実験(1887年)」6.で説明しておりますが、ここでは特殊相対性理論に基づいて厳密に説明します。
この稿の理解には、「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」と「ローレンツ変換とは何か[Einsteinのローレンツ変換導出法(1905年)への補足]」の知識が必要です。そちらをご理解の上でお読み下さい。
マイケルソン・モーリーの実験結果の特殊相対性理論による説明はかなり込み入っており正確に伝えるのは難しい。この実験結果が納得できないと言われる方の為に、できるだけ解りやすく説明します。
伝えやすくするために実験の状況を以下のように簡略化します。
[補足説明]
なぜ、上記の5.や6.の様な面倒な実験観測装置の設定をしないといけないのかと言いいますと、このことが特殊相対性理論や一般相対性理論を理解する上での本質だからです。
それは、別ページで引用したBornやSommerfeldの指摘が重要だからです。特にSommerfeldの以下の言葉は噛みしめる価値があります。
もし、我々が光の進む様を、水面を進んでいく表面波の様に、あるいは水平に張られた縄の端を上下に振って発生させた縄の振動が波として進んでいく様に、その伝わる様を我々が見ることができれば、それらの波の速度が静止して見る観測者と動きながら見る観測者では違って見えるでしょう。つまり、光の伝播速度は観測者によって異なって観測されるはずです。
しかし、Sommerfeldが指摘している様に光の波が進んでいる様を見ることはできないのです。光の伝播速度を知るには、動いている観測者はその者が持っている物指し棒を用いて、その物指し棒の一端から光が発射された時間と、物指し棒の他端に到着したときの時間をその物指し棒の両端に設置されている時計の示す時間差によって測定します。静止している観測者も同様に、同じ光の進む様子を静止した観測者が持つ物指し棒とその両端に設置されている静止した時計の指し示す時間差で測定するしかありません。
そのとき、同じ光の発射と到着をその様にそれぞれが持つ物指し棒とその両端に設置したそれぞれの時計で計測すると同じ速度が得られるのです。観測者がどの様に運動していても同じ光速度が得られます。このことは、この世の中の時空の構造が運動状態によって異なって来ることを表していると言えます。つまり空間は動いている状況により伸び縮みし、流れる時間は動いている状況によりゆっくり進んだり早く進んだりするのです。そうなることの詳細は別稿「ローレンツ変換とは何か」で説明しました。
そのような事は信じられないと思われるかも知れませんが、この世界・この世の中はその様にできているのです。これはまさに世の中を認識する上で革命的な変化でした。だからこそ、Einsteinによる特殊相対性理論の確立は大発見だったわけです。
そのことが解れば、自然法則を記述する上で、特別な座標系というのは無くなります。だから、自然法則は互いに動いているあらゆる座標系で同じ様に表されるはずだということです。これがいわゆる“特殊相対性原理”です。そして、その事を解らしてくれる根本の原理が“光速不変の原理”です。これが光速の不変性を通じて時空の変化(時空の構造変化)を教えてくれる。
Einsteinは特殊相対性理論の時空構造に加えて、この世の時空は質量(エネルギー)の存在によって歪むことに気付きます。つまり重力も時空の構造に影響するのです。
そのとき“[加速度運動している事]と[重力場中に静止している事]は区別できないことから、特殊相対性理論をもっと一般的な加速度運動をする基準系にまで拡張するには、重力の問題をとりあつかわねばならないことにEinsteinは気付きます。
すなわち、重力場中での物質の性質(時空の性質と言っても良い)を理論の中に取り込めば重力に対する真に正しい法則(これがEinsteinの“重力場方程式”)を見つけることができるだろう。そして“一般相対性原理”を満たす真に正しい物理法則を見つけることができることに気付きます。もちろんここでも“光速不変の原理”は成り立っています。
この当たりの事情は後の別稿「双子のパラドックスと一般相対性理論」5.で詳しく説明します。
マイケルソン・モーリーの実験が行われた当時、物理学者は、
絶対静止の空間が存在し、光を伝える媒質であるエーテルはその空間を満たしている。そして、光はそのエーテル中を一定の速度で伝わる。
と考えていました。
もし、その考え方が正しいのなら、そのエーテル空間に対して運動している地球に付属する運動系(k系)で、光が伝わる様子を観測すると以下の事態が生じると思っていた。
下図のような直角に交差する光路棒からなる装置を考え、装置全体はエーテル空間に対して光路棒A→Bの方向に一定速度(v=300000[m/s])で動いているとする。装置上の交点Aでパルス状の光球面波を発射し、A点からそれぞれ一定の距離(L=10m)だけ離れたB点とC点にある反射鏡で光を反射させる。
A点から発射やされたパルス状の光束が、B点とC点でそれぞれ反射されて最初のA点に帰ってくる現象を観測する。
エーテル理論に従うと同じ距離を往復する光束であっても、装置がエーテルに対して動いているのでA→B→Aと進む光束とA→C→Aと進む光束ではA点に帰着する時刻が異なる。
すなわち、大多数の物理学者は、その帰着時間のずれを実験で確かめることができると予測した。
[補足説明]
マイケルソンとモーリーは、1つの光束をハーフミラーで二つに分けて用いましたが、ここではバルス状の球面波で考えます。
前記の予測をもう少し詳しく説明する。
A→B→Aと進む光束について考える。A点を時刻をt0(=0としている)に出発する光束がB点(図中のB’点)に達する時刻をt1、再びA点(図中のA”点)に帰ってくる時刻をt2とする。
見やすくする為に、光速度cに対して装置移動速度vを拡大した図にしています。今後出て来るすべての図は、その点に注意されてご覧下さい。
図から明らかなようにt1は
となる。
更に、B’点で反射した光束が最初の発射点A”にもどる時刻t2は
となる。
A→C→Aと進む光束について考える。A点を時刻をt0(=0)に出発する光束がC点(図中のC*’点)に達する時刻をt1*、再びA点(図中のA*”点)に帰ってくる時刻をt2*とする。
図から明らかなようにt1*は
となる。
更に、C*’点で反射した光束が最初の発射点A*”にもどる時刻t2*は
となる。
前記の計算から解るように、古典的エーテル理論では帰着時間に時間差Δtが生じる。
最初の設定値を用いて実際の値を計算してみると
程度の時間差が生じる。
この時間差を直接測定することは現在の技術を持ってしても不可能ですが、マイケルソン干渉計を用いれば確認できる時間差です。
この時間差内に光は3.0×108[m/s]×3.3×10-14[s]=1.0×10-5[m]程度進みますが、可視光の波長は5.5×10-7[m]程度ですから、1.0×10-5[m]は可視光波長の20倍程度の距離となります。
これほど僅かの時間差でも確認できるマイケルソン干渉計の能力に今更ながら驚かされます。マイケルソン・モーリーの実験はこれほど僅かな時間差でも確認できる実験だったのです。
ところが、実験では到着時間の差は観測されなかった。つまりA→B→Aと進む光とA→C→Aと進む光はまったく同時に帰着したのです。これはとても不思議な結果でした。
[補足説明]
実際の実験では以下の事情がありました。
1.ABとACの長さを完全に等しくする事は不可能です。
2.装置が絶対静止空間(エーテル空間)に対してどの方向に動いているかを見極めることは難しい。
3.マイケルソンの干渉計を用いないと時間差を判定するのは難しい。
そのため、マイケルソンとモーリーは実験装置全体を回転させ、マイケルソン干渉計を用いてA→B→Aと進む光とA→C→Aと進む光の到着時間の差の“変化”を観測しました。また装置速度vとしては、当時知られていた地球の公転速度v=30000[m/s]を採用しました。
ところが、その“変化”はまったく生じなかったのです。その当たりの詳細は別稿「マイケルソン・モーリーの実験(1887年)」をご覧下さい。
特殊相対性理論では
光はあらゆる慣性系から見て、同じ速度で伝播していく。これを“光速不変の原理”と言う。
そのとき、古典論で言う絶対静止の空間や光を伝える媒質であるエーテルなどは必要としない。
それぞれの慣性系で同一の光束を観測したとき、各慣性系から見た光の速度とはそれぞれの慣性系に対して静止している物差し棒と時計で測定した速度の事です。それらが等しくなることを“光速不変の原理”は言っています。
地球の観測者に取ってAB=AC(≡L=10mとする)であり、“光速不変の原理”(光速≡c=300000000[m/s]とする)から以下のことが言える。
時刻τ0=τ0*(=0とする)にA点を出発して、A→B→Aと進む光束がB点に到達する時刻τ1は
であり、A点に帰着する時刻τ2は
となります。
同様に、A→C→Aと進む光束がC点に到着する時刻τ1*は
であり、A点に帰着する時刻τ2*は
となります。
つまり、A→B→Aと進む光とA→C→Aと進む光は同時にA点に帰着します。マイケルソン・モーリーの実験が示す通りの事が生じます。
静止系(K系)から見て、時刻t0=t0*=0にA点を出発する光束を観測する。
K系から見ると、光路棒ABは光束の進行と供に下図の様に動いていく。
K系から見ると光路棒ABはAからBの方向へ動いていますので、相対性理論によるとK系で観測する実際の光路長はLではなくて少し縮んだ長さになります。
[補足説明1]
運動系(k系)と供に運動している棒の長さを静止系(K系)から測るときの方法については、別稿「ローレンツ変換とは何か[Einsteinのローレンツ変換導出法(1905年)への補足]」2.(2)3.を参照して下さい。
実際にどのくらい縮むのか計算してみる。
つまり、5.0×10-6[m]ほど縮んでいます。これは可視光の波長の10倍程度ですから、この収縮量を測定するのは難しい。
光路棒ABが縮んでいる為に、K系の時計で観測すると、光束がB’点に到達する時刻t1は
であり、A”点に帰着する時刻t2は
となります。
[補足説明2]
式中で用いられている光速cについて補足します。
運動系(k系)で見たときの速度がcの光束を静止系(K系)から見るのだから、同じ光速度cを用いるのはおかしいのではないかと思われるかもしれませんが、それは大丈夫です。
静止系に存在する物差し棒の長さは運動系中にある物差し棒の長さと違っており、静止系の時計の進み具合も運動系の時計と違います。静止系の物差し棒と時計で測定すると光速度は確かに同じ値c=300000000[m/s]となります。
ここのところは解りにくいかもしれませんが、別稿「ローレンツ変換とは何か[Einsteinのローレンツ変換導出法(1905年)への補足]」2.(2)2.や、2.(3)2.で説明していますのでご覧ください。
[補足説明3]
互いの慣性系の移動速度vについて補足します。
互いに他の慣性系を見たとき相手の時計は遅れ、物差し棒は縮んで見えるのに、互いの慣性系の移動速度を両系で同じ値vを用いて良いのだろうかと疑問に思われるかもしれませんが、その点も大丈夫です。
ここのところも解りにくいところですが、、別稿「ローレンツ変換とは何か[Einsteinのローレンツ変換導出法(1905年)への補足]」3.(4)で説明する図や、そこの[補足説明1]を参照されると、両慣性系で同じvを用いても良いことが解ります。
この場合は下図の様になります。
このとき光路棒ACは進行方向に対して垂直に立った状態で移動しますから、長さの縮みは有りません。そのため、この図は2.(2)2.で説明した状況とまったく同じになります。そこと同様な議論により光束がC*’点に到達する時刻t1*は
となり、A*”点に帰着する時刻t2*は
となります。
[補足説明]
進行方向に垂直な方向の光路棒は縮みませんから、ここの部分でもk系から見た光速度cとの整合性を疑われるかもしれません。しかし、このことは別稿「マイケルソン・モーリーの実験(1887年)」6.(2)[補足説明]ですでに説明しております。慣性系ごとの時計の進み具合が異なることを思い出せば了解できます。
このことは、、別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」1.(5)の「光時計」の説明からも了解できます。
上記の結果から解る様に、A→B’→A”と進む光とA→C*’→A*”と進む光は同時にA”=A*”点に帰着します。
つまり、静止系(K系のことですが、今は宇宙マイクロ波背景放射空間としている)から見てもマイケルソン・モーリーの実験が示す通りの事が生じます。
光束がA点を出発する時刻をk系の時計でτ0=0、K系の時計でt0=0としていますが、もちろんそれらの時刻はA点の位置にその瞬間に存在するk系の時計とK系の時計で計っています。K系の時計は(運動系kにある装置の)A点の位置をB→Aの方向へ高速で移動していますが、最初述べたようにK系の座標軸(物差し棒)に沿って沢山の時計が並べて有りますから、その瞬間にA点の位置をたまたま通過するK系の時計の時刻です。以下も同様に考えて下さい。
A→B→A
AからBの方向に出発した光束がB点に達したとき、B点にあるk系の時計の時刻はτ1=L/cを指しており、その瞬間にB’点の位置を通過しているK系の時計はt1=L/(c−v)を指しています。
同じ光束が最初のA点に帰ったときにA点にあるk系の時計の時刻はτ2=2L/cを指しており、その瞬間にA”点の位置を通過しているK系の時計の時刻はt2=2L/(c2−v2)0.5を指しています。
A→C→A
同様に、A点をCの方向に出発した光束がC点に達したとき、C点にあるk系の時計の時刻はτ1*=L/cを指しており、その瞬間にC*’点の位置を通過しているK系の時計はt1*=L(1−v2/c2)/(c−v)を指しています。
同じ光束が最初のA点に帰ったときにA点にあるk系の時計の時刻はτ2*=2L/cを指しており、その瞬間にA*”点の位置を通過しているK系の時計の時刻はt2*=2L/(c2−v2)0.5を指しています。
すなわち、
τ2=τ2*=2L/cであり、t2=t2*=2L/(c2−v2)0.5ですから、k系からみても、K系から見てもA→B→Aと進む光束とA→C→Aと進む光束は同時にA点に帰ってくる。
つまり、マイケルソン・モーリーの実験結果を完璧に説明します。このことは、一点で同時に生じる出来事は、どの慣性系から見ても同時に生じることを示しています。
2.(2)3.で説明したように、A→B→AとA→C→Aで光の復帰時刻に差があれば、その差からvが求まり、絶対静止空間(エーテル空間)の存在を検出できるわけですが、(v/c)の二次の精度においてもその様な差分は検出できなかったのですから、絶対静止空間(エーテル空間)の存在を確かめることはできなかったわけです。
更に、以下の事柄に注目して下さい。
τ1=τ1*=L/cですが、t1≠t1*でありt1もt1*もL/cと異なります。離れた点で生じる出来事は、ある慣性系で見たとき同時刻であっても、別の慣性系から見ると同時刻ではない。
これは理解しにくいことですが、その様なことが起こっても場所が離れていますから因果律に矛盾することは有りません。これは相対性理論が予言する新しい事実です。
このとき、特殊相対性理論の予言する片道の光到達時刻(t1とt1*)の差を検出することができれば速度vが決定できます。vが解ればマイケルソン・モーリーの実験装置の絶対静止空間(エーテル空間)に対する運動が判別できると思われるかもしれませんが、それはできません。
ここで求まるvはあくまでk系に存在するマイケルソン・モーリーの実験装置のK系に対する速度であって、絶対静止空間に対するものではありません。実際、立場を変えて同じ実験装置をK系の実験者に貸し与えて同じ実験をしてもらい、k系から観測するとまったく同様な片道到着時刻差が出てきます。つまり上記で求まるvは単にk系とK系の“相対速度”を示しているに過ぎません。
その時刻差が測定できたとしても(k系に在る)マイケルソン・モーリーの実検装置を観測する慣性系(K系)の状況(相対速度v)が変われば如何様にでもその片道到着時刻差は変化(v→0になれば時刻差→0となる)しますから、その様な離れた場所で生じる事象の時刻の違いをとやかく言っても何の意味もありません。
これは丁度ある恒星に対する地球の公転運動の状況が変われば光行差の値は変わってきますが、その光行差の現象から絶対静止空間(エーテル空間)を見いだすことができないのと同じです。
また、Aに再び帰着する時刻は、(A→B→Aと進む光束とA→C→Aと進む光束がたとえ同時に帰着しても)k系の時計が示す時刻τ2=τ2*=2L/cと、K系の時計が示す時刻t2=t2*=2L/(c2−v2)0.5は異なる。
つまり、同じ現象を見てもK系から見るかk系から見るかによって起きた時刻は異なる。これも相対性理論が予言する新しい事実です。
光の帰着は、k系にとってもK系にとっても一点で同時に生じる事ですから、両系の時計でその事象の生じた時刻を測定できます。そして、両系の時計が示す時刻の差が、(実際に行うのは難しいが)原理的には検出できます。
その時刻差から求まるvは上記で説明した二つの系の“相対速度”です。実際、立場を変えて同じ実験装置をK系の実験者に貸し与えて同じ実験をしてもらいk系から観測するとまったく同様な到着時刻差が出てきますから、この時刻差も相対的なものです。そのとき、相対速度vが大きくなれば到着時刻差が大きくなり、v→0となれば、到着時刻差は無くなります。
すなわち、相対性理論は、“絶対静止の空間を確かめることはできない。また、その様なものを必要としない。”と言っている。
アインシュタンイは、“すべての慣性系で共通な時間が存在するという思いこみは根拠のないことであって、そういった絶対時間は存在しない”ことに気付きました。
そして、実験事実である“光速不変の原理”と、因果律を満たすために必要な“一点で同時に起きた出来事は、どの慣性系から見ても同時に起きる”という要請を用いてローレンツ変換公式を導きました。
1905年論文のローレンツ変換導出過程を子細に検討すると、まさにそうしていることが解ります。
[補足説明]
上記の論理を説明する例として“ガレージのパラドックス”というものがあります。
それは固有の長さL=20mの車を奥行きW=10mのガレージに収納できるかという問題です。
それは可能です。相対性理論によると動いている自動車の長さは縮みますからその長さが10mに縮むまで加速して高速度で入り口のドアが開いているガレージーへ突進させれば良い。
具体的には【自動車の速度が光速度の86.6%】に達すると、ガレージの管理者から見ると自動車は長さ10mに縮んでいますから、自動車がガレージの中に入った瞬間に出口側のドアを開け、入り口側のドアを閉めます。そうすると確かに、その瞬間自動車はガレージの中に収納されています。
所で、相対性理論によると、動いている自動車に乗っている人にとって自動車は長さL=20mのままです。そして地面とガレージが自動車の方へものすごい速度で突進している事になります。そのとき相対性理論が教える所によると自動車の運転手にとってガレージの奥行きはW=5mに縮んでいます。ならば本当に自動車はガレージの中に収納できるのでしょうか。
相対性理論によると長さL=20mの自動車に向かってガレージが突進してきて、自動車の先端がガレージの後側のドアに接した瞬間に後側のドアが開きます。そのとき、自動車の後端はまだガレージの外に出っ張っていますがやがてガレージが更に進んできて、カレージ入口側のドアが自動車の後端を通り過ぎる瞬間が来ます。その瞬間にガレージ入口側のドアが閉まるのです。
その様にしてガレージは自動車の外を通過するのですが、自動車の乗客に取ってガレージが自動車をすっぽり包み込む瞬間があるわけではありません。自動車の中央部をガレージが通過しているとき、自動車の先端はガレージの後ドアの先に突き出ていますし、自動車の後端はガレージの入口の向こう側に突き出て残っています。それが自動車の乗客が測定するとガレージの奥行きが5mであると言うことです。
この現象をミンコフスキー時空図で説明すると下図の様になります。
[拡大図][尺度曲線記入版]
同じ現象を自動車系が直交するミンコフスキー時空図で表示すると以下のようになります。
[拡大図][尺度曲線記入版]
こちらの図の方が、短く縮んだガレージが接近してきて静止している自動車を通過していく様子が解りやすい。
図から読み取れる様に、ガレージの後出口が静止している自動車の先端を通過する時刻と、ガレージの前入口が自動車の後端を通過する時刻は自動車系の時間で異なった時刻に生じます。だから自動車系から見て自動車がすべてカレージの中に収まる瞬間はありません。
それに対してガレージ系から見ると自動車がガレージ内に収まる瞬間はあります。
これらの図の描き方については、別項Born著「アインシュタインの相対性理論」の2.(1)[補足説明]、及び2.(3)[補足説明]を参照されながら4.(1)の図の説明をご覧ください。
上記の例では自動車の速度が光速度の86.6%というかなり速い場合でしたのでかえって図が解りにくいかも知れません。そのため、【自動車の速度が光速度の25%】の場合のミンコフスキー図も示しておきます。この場合には
その為、静止ガレージ系から見ると光速度の25%の速さで動いている長さ20mの自動車は
つまり、19.364mに縮んで見えます。そこで、ここでは静止しているときのガレージの奥行きを19.364mとします。そうするとガレージ系から見ると自動車がその中にすっぽりと収納される瞬間があります。
次に元々奥行き19.364mのガレージを光速度の25%の速度で動いている自動車から見ると、ガレージは光速度の25%の速度で自動車に近づいてくるように見えます。そのため自動車系から見るとガレージの奥行きは
つまり、18.748mに縮んで見えます。その為自動車系から見た時、自動車がガレージの中にスッポリと収納される瞬間はありません。
これらの状況を示すミンコフスキー図は以下の様になります。図中の濃い緑色三角形が前記ミンコフスキー図中の黄緑色三角形に対応することに注意されて下さい。
[拡大図]
[拡大図]
二つの図はどちらも同じ状況を表しています。どちらの図に於いても、x軸に平行なガレージ系で見ると自動車がスッポリとガレージに収納される瞬間がありますが、ξ軸に平行な自動車系で見ると自動車がスッポリとガレージに収納される瞬間はありません。
この現象の両方の座標系での説明に論理的な矛盾は全くありません。自動車の先端がガレージの出口に達することと、そのとき出口のドアが開くことは、自動車運転手もガレージ管理人も同時に起きることと認識しています。また自動車の後端がガレージの入口を通過することと入口のドアが閉まることは、どちらの観測者も同時に起きることと認識しています。
そのとき、入口ドアが閉まるのと出口ドアが開くのはガレージ管理者にとっては同時刻に起きますが、自動車運転手に取っては同時刻ではなく少しずれて起きます。両者の認識の違いは離れた場所で起こることなので論理矛盾を生じることはありません。これが相対性理論による説明です。マイケルソン・モーリーの実験の説明にもこれと同じ論理が使われています。
以上説明した様に、マイケルソン・モーリーの実験結果を特殊相対性理論を用いて理解するのは結構難しい。特殊相対性理論が予言する“互いの慣性系で測定される時間や長さは相対的なものである”はとても不思議な事です。しかし、そこには論理的な矛盾はありません。
さらに、特殊相対性理論は驚くべき事実を次々と予言します。その当たりにつきましては別稿
「アインシュタインの公式 E=mc2 の証明」
「相対論的力学」
をご覧下さい。
そこで説明している事柄は、素粒子・高エネルギー物理学や天体物理学で不可欠のものです。