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ヒッパルコス(Hipparchus)が月までの距離を測った方法

 ヒッパルコス(B.C.190頃〜B.C.125年)が月までの距離を測った方法に二通りある事を、別稿「ブラッドリーが光行差を見つけた方法(1727年)」6.(1)1.[補足説明3][補足説明4]で説明しました。
 この中で、“日食”を用いる方法[補足説明4]は、月による太陽の掩蔽が非常にくっきりと明瞭に生じるので、その方法を理解するのは簡単なのですが、“月食”を用いる方法[補足説明3]の理解は難しい。
 プトレマイオスは、彼の著書「アルマゲスト」第5巻、第11章〜第15章の中で、ヒッパルコスの月食を用いる方法をそれとなく述べているのですが、その記述は曖昧かつ難解で私自身いくら注意深く読んでも理解できなかったのです。
 ところが最近、下記の二つの情報

からその方法がやっと理解できました。このページはそのことを説明するものです。

 

1.月食を用いる方法の疑問点

 実際の月食時の地球の影は下図の様なものです。

光源である太陽はかなりの広がりを持っています。そのため写真からも解るように、月面上にできる地球の影の縁はかなりぼやけたものになります。
 今日に伝わっているヒッパルコスの得た月までの距離は、その誤差が2パーセント程度以下の極めて正確なものです。それを得るためには、地球の影の直径を誤差2パーセント以下で計測する必要があります。しかし、影の縁のぼやけ具合を見る限りそれは非常に難しそうです。
 それで月の位置にできる地球の影の直径をどのような方法で計測したのか、私自身長い間疑問に思っていました。それが上記の文献でG・J・トゥーマーが以下の様に説明しているのを見つけてやっと疑問が解決しました。

 これが、おそらくWikipediaの記事“On Sizes and Distances”を翻訳紹介されたページの中程の“スワードロウによる第2巻の復元”だろうと思います。ちなみにN・M・スワードロウは上記文献の第10章を分担執筆している。
 ただし、この引用文の説明も解りにくいので以下でもう少し解りやすく説明します。別稿「スワードロウの復元」も参照されながらお読み下さい。

 

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2.スワードロウによる復元

)ヒッパルコスの時代に解っていたこと

 ヒッパルコスの時代に解っていた事と当時使われていた天体計測機器について、文献3.の該当部分を引用しておきますのでご覧下さい。また参考文献4.プトレマイオス著「アルマゲスト」にも、ヒッパルコスについての情報が含まれています。それらの文献の中から、特にこの稿に関係する事を箇条書きします。

  1.  月食は地球が太陽光を遮るため、日食は月が太陽の前を通過するために起こる現象であるという認識は確立していた。そして、日食に金環食や皆既日食の違いがあることから月や太陽の軌道半径がかなり変動していることは解っていた。
  2.  ヒッパルコスは、朔望(太陽−月−地球が一直線に並ぶ)となったとき、太陽と月が同じ大きさに見えることがあることに気づいていた。つまりそのとき皆既日食が起こると、そのときの月と太陽の大きさが全く同じになる。このことは、月が地球から最も遠ざかったときの距離と最も近づいたときの距離の間に、そうなる距離が存在することを意味する。
  3.  前記の様に地球の周りを回る月の軌道の[地球−月間距離]がかなり変動することは解っていたが、その量についてもかなり正確にわかっていた。少し時代は下るが、プトレマイオスは月の視直径(地球から見た時の月の大きさの視野角度)は31×1/3分=0.522°から35×1/3分=0.589°の間で変化すると述べています。ヒッパルコスも月の軌道半径がどの程度の割合で変化するかはの知識はあったと思われる。
  4.  ヒッパルコスは月の公転速度の変化を離心円と周転円によって表していた。彼は古代の月食記録を利用して、大円(誘導円)と周転円の半径比、および離心円に関係する黄道中心(太陽の離心円中心)と月の運動中心(月の離心円中心)との距離(半径に対する相対値)も求めていた。
     これらの離心円モデル、周転円モデルでは、それらの円周上の運動は等角速度運動をするとされています。
  5.  月の軌道の白道(黄道に対して約5°傾斜)と黄道との交点が、黄道上を18.6年で逆行(東から西へ移動)する現象も、ヒッパルコスは発見していた。
     ヒッパルコスは、日食時の皆既・金環食の違いが月までの距離の違いであると知っていた。このとき、日食は白道と黄道が交差する点でしか起こらない事を考慮すると、皆既・金環食の違いは、月軌道の近地点(遠地点)が移動する周期は、白道の歳差運動つまり白道と黄道の交点が移動する周期(18.6年)とは異なることを意味する。つまり、ヒッパルコスはそのことを理解していた。(今日の知識では月軌道の近地点(遠地点)は月の運動方向に回転しており8.85年で一週する)
     少し後のプトレマイオスは月の遠地点(or近地点)がかなり早く移動するのを、大円(誘導円)における周転円中心の回転速度と周転円上における月の回転速度を異なる値にすることで表現していた。ヒッパルコスもこれと類似のアイディアを利用したと思われる。
     このとき、惑星に対する周転円モデルでは周転円上の惑星の回転速度は太陽の回転に同期しなければならないが、月と太陽と内惑星に関しては任意の値で良い事に注意してください。その時、太陽に関しては月と違って近地点(遠地点)の移動は見られないので、周転円上の太陽の回転周期は自らの公転周期(1年)に同期させればよい。
  6.  ヒッパルコスは太陽の軌道についても、黄道上の移動速度の変化(これは地球と太陽の距離が太陽の公転に伴って変化することを意味する)を知っていた。そのため太陽の年周運動の円軌道も、その中心を地球から少し外れた所に置いた離心円で表していた。
     このとき、太陽の場合は、離心円モデルの代わりに大円(誘導円)と周転円のモデルで表すこともできます。それは離心円モデルと周転円モデルが理論的に同じになるからです。なぜなら、太陽の場合周転円上の太陽の回転速度が大円における周転円中心の回転速度と同じ(1年)に成るからです。このことは図を描いて見られるとすぐに了解できます。
  7.  離心円を用いると言うことは、ヒッパルコスが天球上を移動する太陽の動きが、地球が遠日点にいるときよりも近日点にいるときの方がより速くなることを知っていた事を意味します。つまりその差が解るほど太陽の運行速度は正確に観測されていた。月についても同様です。

 

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(2)諸量の現在における値

 後で考察する諸量の今日に於ける値を箇条書きします。

  1.  地球の半径E=6.36×106、公転半径S=1.47〜1.52×1011(もちろん、ヒッパルコスは地球の周りを太陽が回ると考えていた)、公転周期365.25日、離心率0.0167。これらの値を用いると地球の公転速度は2.98×104m/s程度となる。
     ちなみに、地球の公転半径は月の公転半径の約1.5×1011/3.8×108=395≒約400倍程度です。また、地球の公転半径は地球半径の約1.5×1011/6.36×106=2.36×10423600倍程度です。
  2.  月の半径M=1.74×106、公転半径M=3.64〜4.05×108、公転周期27.3日、離心率0.0549。これらの値を用いると月の公転速度は1.01×103m/s程度となる。
     ちなみに、月の平均公転半径Mは地球半径E約3.8×108/6.36×106≒60倍程度です。
     月の公転軌道(白道)の黄道に対する傾斜角は約5°ですがその歳差運動の周期は18.61年です。また月の公転軌道の長軸は月が運動する方向に回転しており8.85年で1周する[古在由秀「現代天文学講座2月と小惑星」(恒星社厚生閣)より]。
     この両者の周期が異なるために日食が起こるとき(つまり白道が黄道と交差するとき)の[地球−月間距離]は変動します。そのため皆既日食や金環食の違いが生じる。
  3.  太陽の半径S=6.96×108程度です。これは地球半径Eの6.96×108/6.36×106≒109倍程度です。また、太陽の半径rSは月の半径rMの約400倍程度です。
     これは地球の公転半径Sが月の公転半径Mの約400倍程度であったことを鑑みると、地球から見た月直径と太陽直径の視野角度がほぼ等しい(約0.5度)ことを意味する。

 

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(3)ヒッパルコスの方法

 以下で、ヒッパルコスの方法を、重点を確認しながら説明します。先に紹介した“スワードロウによる第2巻の復元”の内容と同じことなのですが、少し見方を変えて説明しています。

.太陽距離の仮定

 ヒッパルコスが、月食時に月面にできる地球の影から月までの距離が測定できると気づいたのは、おそらく「アルマゲスト」第5巻15章にある図(前章引用文中の図20)に関係している。
 この図の《重点1》は、朔望月のとき、月の視野角度と太陽の視野角度が一致(約0.5度)することです。それは特に皆既月食のときにそうなるのですが、その視野角度は前節で確認したように0.522°です。ただし簡単のために、以後の議論は0.5°(=θ0と置く)として進めます。

 《重点2》は、見かけの太陽の視野角が同じでも、太陽が実際にいる位置によって満月の位置にできる地球の影の大きさが変化する。しかもこのとき太陽の位置を正確に知ることはできないことです。
 光源としての太陽はある広がりを持っていますので、“地球の影”の周辺部には薄い影が広がりますが、ここで言う影とは光源(太陽)のどの部分からの光線も届かない“真の影”のことです。
 図中の太陽位置をRS1→RS2→RS∞と変えると、太陽の視野角度θ0は同じでも、満月の位置にできる、“真の影”の大きさが変化して小さくなることに注意してください。
 このとき、太陽は月よりもかなり遠い位置にありますので、当時の観測では太陽の“視差”(距離を測定しようとしている星から地球の半径を臨む角度のこと)は確定できなかった。そのため、[地球−太陽間距離]が[地球−月間距離]の何倍であるかが解らないので満月の位置にできる地球の直径の視野角度を正確に知ることはできません。

 

.地球直径の視野角

 そこでヒッパルコスは太陽の位置に関して次のように仮定することにした。すなわち、[地球−太陽間距離] ≫ [地球−月間距離]と考えて太陽は無限遠Rにいるとした。
 下図をご覧に成れば解るように、[地球−太陽間距離]→RS∞の場合には、“真の影”の直径が地球直径の何倍か知ることができる。これが《重点3》です。

 太陽が無限遠にある場合。上図の赤で塗りつぶした三つの三角形は互いに合同です。そのため満月の位置にできる地球の“真の影”の直径は2×(rE−rM)となる。すなわち、地球から見た視野角θが観測によって求めることができれば、満月の位置に於ける地球直径の視野角はθ地球θθ0によって求めることができる。
 ちなみに、2.(2)の地球直径と月公転半径の値を用いて計算するとθ地球≒2°程度ですから、θ0≒0.5°を用いるとθ≒1.5°程度に成るはずです。つまり太陽が無限遠にあると仮定できる場合には、満月の位置にできる地球の“真の影”の直径は地球直径の3/4倍になる。
 いずれにしても満月の位置に於ける地球直径の視野角θ地球が求まれば、別稿「ブラッドリーが光行差を見つけた方法(1727年)」6.(1)1.[補足説明3]の方法により計算できる。
 その様にしてヒッパルコスが求めた値はθ地球=0.98×2°であったのだろう。そうして[地球−月間距離]の平均値が地球半径の59倍であることが求められた。

補足説明1
 上記のパップスによるヒッパルコスの注釈部分に書かれている“彼は第 1 巻で、これにより地球の半径を 1 とすれば、月の距離は最小で 71, 最大で 83 であることを示した。従って、平均は 77........” の所ですが、71〜83(平均値77)の幅は観測誤差に伴う幅ではなくて、ヒッパルコスが当時知っていた、月の公転半径の変動に伴うものを指している。ヒッパルコスが観測した“日食”が月の公転半径がどの値の時生じたのかを見極めた上で、そのときの[地球−月間距離]を計算した。そして、日頃から承知していた月軌道半径の変動量から上記の値の幅を求めた。
 
 一方、注釈の後半で述べている第2巻での値62〜722/3(平均値671/3は、“多くの考察から”としか書かれてないが、ここまで説明してきたように、“月食”を用いて求めるには太陽の距離が仮定されていることが必要だし、じっさい最後に“そして太陽の距離は 490 である。”と記してあることから、“月食”を用いて得られたものであろう。すなわち、この平均距離の値671/3は太陽距離を地球半径の490倍と仮定して得られたものです。
 だから、最初に引用した G・J・トゥーマー分担執筆、第3章.“プトレマイオスとその先行者たち”p75〜76の記述のなかの“太陽距離の仮定の変化で月の(平均)距離が671/3〜59の間で変動する”と書かれているのです。
 
 ここの平均距離の最短値59は、[太陽−地球間距離]の平均値を490とし[地球−月間距離]の平均値を671/3とした状況で前述の図20を描き、[太陽−地球間距離]の平均値を無限遠に外挿して計算で得られるものです。これはヒッパルコスが求めたものではなくて、著者のトゥーマーが上記の手順で算出したもののようです[“スワードロウによる第2巻の復元”の節文章の最後の4行参照]。
 つまり、59と言う値は、ヒッパルコスが太陽距離を地球半径の490倍と仮定して得られた[地球−月距離]の平均値671/3から、無限遠太陽仮説に移行したとき得られる計算値です。この値をヒッパルコスが書き残している記録があるわけではないのですが、ヒッパルコスを引用しているプトレマイオスの「アルマゲスト」第5巻第15章に“[地球−月間距離]の平均値が地球半径の59倍の場合に太陽距離が地球半径の1210倍になる”という記述があることから、ヒッパルコスは最終的にこの値を得ていたのではないかという推測値です

補足説明2
 上記は太陽が無限遠に存在するとしての値でしたが、ヒッパルコスが説明してるように太陽がもっと近い位置にあると[地球−月間距離]は大きくなります。その場合には上図の赤で塗りつぶした三角形は合同とは成らないで、三角形Bの頂点角θBは三角形Aの頂点角θA=0.25°よりも小さくなるからです。その当たりは前項の図や別稿「スワードロウの復元」中の図で確認できる。
 その時どのような割合で変化するかはMSの間に成り立つ関係式から計算できる。その当たりは引用文献“スワードロウによる第2巻の復元”で計算されているので参照されたし。ただし、そこでは数値が60進法で計算されており少し解りにくいので別稿「スワードロウの復元」で解りやすく解説しています。そちらもご覧下さい。

 

.観測方法

 前項で述べたように地球から見た満月の位置に於ける地球の直径の視野角度θ地球を知るためには、その位置での地球の“真の影”の視野角θを求めればよい。
 以下述べることは私の個人的な推測ですが、上記のθの観測は“真の影”が満月を覆っている時間を計測することによって行われたのだろう。
 まず最初に、地球の影の全体的な様子を確認すると下図のようになる。

 “真の影”の周りに影がだんだんと薄くなる“半影”領域が取り巻いており、周辺部に行くに従って明るくなる。
 “半影”の中程の適当な領域で直径を測れば、それは直接に地球の直径の視野角度を測った事になるのですが、ヒッパルコスは、その様ないい加減な方法ではなくて“真の影”の領域を用いたに違いない。
 “半影”の領域から影の領域の直径を認知するのは難しいが、“真の影”が満月を隠す領域からならばハッキリとその視野角度を計測できる。以後の話は全て“真の影”に付いてのものです。

 別稿「潮汐周期」で説明したように満月は、地球の“真の影”に対して1時間当たり 12.19÷24≒0.5°/h≒満月の幅/h 程度の速度で移動していく。だから、満月が、下右図の地球の“真の影”の領域中を、状態Aから状態Bに移行するのに約2時間程度かかることになる。

 つまり皆既月食はかなり時間がかかる現象です。そのため満月が地球の“真の影”に完全に隠れた状態Aと、月の端が“真の影”から再び出現するときの状態Bの時間間隔(約2時間)はかなり正確に測定できたと思われる。これが、最後の《重点4》です。
 その時間差と、日頃の観測から詳しく解っている月の天球上での移動速度から、地球の“真の影”の視野角θがおそらく誤差2パーセント程度以内で測定できたであろう。

[補足説明]
 その発生メカニズムから明らかなように、皆既日食や金環食は地球上のある限られた狭い帯状の地域でしか見られない。また皆既や金環となる時間は数分(長くて7分程度)しか続かない。
 一方、皆既月食は地球の影になる現象だから、それが起これば月が見える地球上の全地域から見ることができる。しかも皆既の時間は二時間近く(条件が良いとき105分程度)続く。

 

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3.ヒッパルコスの考察

)月距離測定の意味

 Wikipediaの記事“On Sizes and Distances”を翻訳紹介されたページの特に、パップスによるヒッパルコスの注釈部分を深読みすると、ヒッパルコスは、“日食”を用いる方法で月までの距離を求めたことを、著作の第1巻で示していた様ですから、これから得られる値は第2巻の“月食”を用いる方法よりも本質的だと思っていたと思われる。
 この稿の最初に説明したように、“日食”を用いる方法は、月による太陽の掩蔽が非常にくっきりと明瞭に生じるので、その精度も良く、かつ測定原理の理解も簡単です。その具体的な方法は別稿「ヒッパルコスの月距離測定」や、Wikipediaの記事“On Sizes and Distances”を翻訳紹介されたページの“トゥーマーによる第1巻の復元”の部分をご覧下さい。
 これらの記事からお解りのように、“日食”を用いる方法は第2巻に述べられている“月食”を用いる方法よりも、直接的で精度の良いものです。だから第1巻で説明されているのでしょう。

 それなのに、なぜ精度の悪い“月食”時の地球の影を用いる方法で月までの距離を求めたことを第2巻で説明しているのでしょうか?この稿の最初に疑問として指摘したように月食時の地球の影には真の影の周りに半影が取り巻いています。そのため“日食”を用いる方法に比べると精度は劣ると思われます。それなのになぜ、この方法を採り上げたのでしょうか。
 それはおそらく、“視差”(距離を測定しようとしている星から地球の半径を臨む角度のこと)によって決めることができなかった太陽までの距離が、この方法により推定できると考えたからではないのでしょうか?

 それがどういう事かと言うと、最初に引用したG・J・トゥーマーの説明文をもう一度読み直してみると解ります。そこで説明されているように“食の観測から図20の様な配置で二つの角度(月や太陽の視野角度と、地球の影の視野角度)が与えられており、月の距離EMが解れば、太陽までの距離ESが計算でき、またその逆も同様である。”なのです。このことの数学的な確認は別稿「スワードロウの復元」の式(1)と(2)をご覧下さい。
 つまり、ヒッパルコスは“月食”時の地球の影から[地球−月間距離]を地球半径の何倍かを計算するときに、太陽の位置を、地球半径の490倍から無限遠までを仮定して月の距離を計算してみた。そうすると地球半径の490倍の場合は月の(平均)距離は地球半径の671/3であり、太陽距離が無限遠の場合には月の(平均)距離は地球半径の59倍になった。
 そのとき、第1巻で得られている“日食”から求めた値をこれに当てはめると、逆に太陽が地球半径の490倍〜無限遠の間のどの位置にいるのか見積もることができる
 実際、プトレマイオスは「アルマゲスト」第5巻第15章で、[地球−月間距離]の平均値が59の場合に太陽距離が地球半径の1210倍になるという計算をしています。おそらくこれはもともとヒッパルコスが思い付いてやろうとしていたことだろう。

 

)ヒッパルコスの真意

 ヒッパルコスが“月食”を用いて月や太陽の距離を予測したことは有名で、様々な本に取り上げられています。そのとき月に関してはほぼ正しい値を得ているのに、なぜ太陽に関しては地球半径の490倍というまるで正しくない値にしたのか、私には長い間おおきな疑問でした。
 ヒッパルコスほど聡明な人がなぜ太陽距離を地球半径の490倍にしたのかとても不思議だったのです。しかし、今やっとその疑問が解決できたように思います。

 今日ヒッパルコスの著作は失われていて、その内容はプトレマイオスの「アルマゲスト」やざまざまな注釈書に残っている記述の断片から推測するしかありません。つまり、ヒッパルコスの真意は想像で推し量るしかないのです。そのため、私は以下の様に想像します。

 ヒッパルコスが太陽距離として地球半径の490倍という値を取り上げたのは、彼自身が太陽の距離がその程度と思っていたのではなくて、太陽距離の最短の可能性としてとりあげたに過ぎない
 おそらくそれまでに、地球上の様々な場所から見た太陽の起こす掩蔽現象(皆既日食時などに見られる太陽とその背景の星との位置関係が、地球の観測場所により違う事など)から“視差”(距離を測定しようとしている星から地球の半径を臨む角度のこと)の測定を試みていたのでしょう。しかし7分の角度以上の視差は見いだせなかったのでしょう。だから前記の地球半径の490倍という値は[太陽−地球間距離]の最低距離としてとりあえず取り上げたに過ぎない。
 ヒッパルコス自身は、太陽はそれよりも遙か遠い無限遠に近い位置にあると考えていた。その時、彼の著作の第1巻に記述されている様に“日食”からかなり正確な[地球−月間距離]を得ることができた。
 その時、ヒッパルコスは最初に引用したG・J・トゥーマーの説明文中の図20を眺めている内に、に“食の観測から図20の様な配置で二つの角度(月や太陽の視野角度と、地球の影の視野角度)が与えられていおり、月の距離EMが解れば、太陽までの距離ESが計算でき、またその逆も同様である。”と言うことに気づいたのでしょう。
 つまり第1巻で報告されている“日食”から観測された[地球−月間距離]を“月食”観測に当てはめれば、逆に太陽までの距離が計算できる。これが第2巻で展開したかったことではないでしょうか?
 すなわち、“日食”から得られた[地球−月距離]を“月食”観測に適用すれば[太陽−地球間距離]が《無限遠に近い値》を示している。これは“大発見”となるはずのものでした。
 
 ところが、実際には“日食”から得られた[地球−月間距離]の“平均”距離は、引用文献のパップスによるヒッパルコスの注釈部分が正しければ、地球半径の約77倍(2.(3)2.[補足説明1]参照だったのですから、最初のもくろみとは違ってむしろ[太陽−地球間距離]は地球半径の490倍よりも近くなってしまう。
 そのためヒッパルコスの第2巻に於ける著述が、彼自身にとっても混乱した曖昧なものになってしまった?だから、後世の歴史家が混乱に陥ったのではないでしょうか?
 
 今までの歴史家の解釈は“[太陽−地球間距離]を適当に仮定して、月食から[地球−月間距離]を決定した”というものでした。しかし、これはおそらく間違っています。私は、ここで述べた様なものがヒッパルコスの真意だったと思います。
 読者のご批判もあると思いますが、ヒッパルコスの著作が失われた今日本当のところは誰にも解らないのですから、このように想像してみるのも楽しいのではないでしょうか。 

補足説明
 トゥーマーは引用文献“トゥーマーによる第1巻の復元”“日食”の観測から得られる値として71.1を示しています。確かにこれがヒッピルコスの得た値かもしれません。
 ヒッパルコスが用いた日食は皆既日食だったのですから、[地球−月間距離]は2.(3)2.[補足説明1]で説明した71〜83(平均値77)の幅のなかでも最近値の71に近い値であったはずです。皆既日食は金環食と違って[地球−月間距離]が最近の位置でおこるのですから。
 ただし、ヒッパルコスの第1巻中の値71〜83は、実際の距離に換算するとM=45〜53万kmに相当し、正しい値M=36〜41万kmからかなり外れています。事実71に相当する距離45万kmは正しい値36万kmに対して誤差25%もあります。
 この様に、“日食”の観測から得られる値の誤差が大きいのは、地球上の二点からの月の視差はかなり正確に測定できても、地球上の二点間の距離の見積もりに誤差が大きいことと日食が天頂以外で起こったときに角度の変換が難しくなることが影響したのだろう。
 
 だから、影の輪郭がぼやけることから一見誤差が大きいと思われた“月食”を用いる方法は、太陽が無限遠と仮定できさえすれば、“日食”を用いる方法よりも遙かに正確な値を与えることになる。
 ヒッパルコスも、おそらく最終的には[地球−月間距離]の値としては、第1巻の“日食”を用いた値よりも第2巻の“月食”を用いた値の方を信頼していたのだろう。“日食”を用いる方法では地球の二点からの視差の観測が必要だが、“月食”を用いる方法は地球の一点から見た視野角の測定だけで良いのですから。
 その為にヒッパルコスは最終的に、“月食”観測で太陽距離を地球半径の490倍と仮定して得られた[地球−月距離]の平均値671/3から、太陽位置を無限遠に移行したときに得られる59を得ていたのではないでしょうか。歴史家のトゥーマーはその様に推測しているようです。最初に引用した文献を深読みするとその様に受け取れます。

 

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4..参考文献

 この稿をつくることで、私自身の積年の二つの疑問
 1.月食の影はかなりぼやけているのにどうして地球の影の直径を正確に測れたのか?
 2.聡明なヒッパルコスが、なぜ太陽距離として地球半径の490倍という変な値を用いたのか?
がやっと解決できました。
 この稿は以下の文献1.と2.に依存しています。改めてこれらの文献に感謝!

  1. Wikipediaの記事“On Sizes and Distances”を翻訳紹介されたページ“アレクサンドリアのパップス”“スワードロウによる第2巻の復元”“トゥーマーによる第1巻の復元”の部分をご覧下さい。
    http://mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/kuiper_belt/eclipse/hipparchus_size.htm
  2. クリストファー・ウォーカー篇「望遠鏡以前の天文学」恒星社厚生閣(2008年刊)の
    G・J・トゥーマー分担執筆、第3章.“プトレマイオスとその先行者たち”のp75〜76
  3. ダンネマン著「大自然科学史2」三省堂(1978年刊)第W章アレクサンドリア時代 “測定的天文学の進歩
  4. プトレマイオス著(藪内清訳)「アルマゲスト」恒星社厚生閣(1982年刊)第5巻、第11章〜第15章
     この中にヒッパルコスの方法が説明されているのですが、曖昧かつ難解でどこからどこまでがヒッパルコスの業績で、どこがプトレマイオスの仕事なのか区別が付きにくい。
  5. 田村松平編集「世界の名著 第9巻「ギリシア科学」」中央公論社(1980年刊)に収録の
    アリスタルコス著「太陽と月の大きさと距離について」(アリスタルコスのものとして残存している唯一の論文)
     この論文には図20に関係するような幾何学的考察が詳細に展開されています。ヒッパルコスはこれらの論文を研究していたでしょうから、スワードロウが説明している幾何学的関係に気づいていたことは充分推測できます。

 ヒッピルコスが求めた月までの距離として地球半径の59倍という数値が、様々なWebページに取り上げられています。しかし、私自身この59という数字がどこから出てきたのか良く解りませんでした。
 プトレマイオスの「アルマゲスト」の中を隅々探したのですがヒッパルコスが求めたとは書かれていません。「アルマゲスト」第5巻第15章にプトレマイオスが求めた値として出て来るだけです。私自身も数値59はこの「アルマゲスト」第5巻第15章に由来するのだろうと思っていました。
 ヒッパルコスの求めた値としては、パップスによるヒッパルコスの注釈部分に出て来る値671/3であり、太陽までの距離に関しては490(あるいはフルチュが1900年の論文で唱えた2490[日本大百科全書])です。
 この稿を作ることで、59の由来が スワードロウ → トゥーマーの推測値 だったのだとやっと理解できました。

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