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ニューズウイーク日本語版SPECIAL REPORT(2001.10.17)

ニューズウィーク日本版 2001年10月17日号 P.18〜
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分析  Why Do They Hate America?  憎悪とイスラムの政治学
テロリストがアメリカに向ける怒りをイスラムの教えと結びつけるのは誤りだ彼らの憎しみの根は過去30年の歴史にある −−−ファリード・ザカリア(本誌国際版編集長)
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 「あのテロリストたちは、なぜアメリカを憎むのか」。アメリカ人なら「そんなことはどうでもいい」と答えるかもしれない。あれだけの人を殺された後では怒りが先に立つものだ。しかし、この先に待ち受ける長い戦いを勝ち抜くには怒りだけでは足りない。私たちには答えが必要だ。
 もちろん、出来合いの答えはある。彼らはアメリカの自由を憎んでいる。アメリカの豊かさをねたんでいる。アメリカの強さを恨んでいる。
 そうかもしれないが、貧しく弱く抑圧された人なら世界中に山ほどいる。それでも彼らは旅客機を爆弾代わりにしないし、自爆テロで多くの民間人を殺したりもしない。そこまでやらせるには、貧困や嫉妬よりも強い何かが必要だ。自らの命を投げ出しても人を殺させる何かが。
 ウサマ・ビンラディンにとっては、その「何か」が宗教だ。だからイスラムと欧米世界の聖戦という構図になる。イスラム教徒の大半は、そうは思わない。世界中のイスラム国家が9月11日のテロを非難している。宗教の名の下に大量殺人を正当化し、殉死を美化してきた過激派の1人。ビンラディンはそうみられている。
 連続爆弾犯ユナボマーであれオウム真理教であれ、テロリストは必ずといっていいほど社会のはみだし者であり、自分たちのゆがんだ価値観を人類全体のそれに優先させてきた。
 しかしビンラディン一派は、オウム真理教のように孤立したカルト集団でもないし、ユナボマーのような一匹狼でもない。彼らは欧米、とりわけアメリカへの敵意と不信と憎悪をかき立てる文化の申し子だ。
 この文化もテロを認めはしないが、その核にある狂信的態度をあおる。ビンラディンの武装集団「アルカイダ」をごく一部の過激派と決めつけるのは、気休めにすぎない。
 9月11日直後のアラブ各国の新聞には、ビンラディンを絶賛するような記事があふれていた。たとえばパキスタンの英字紙ネーションはこう報じている。「9月11日の行為は、テロリズムのためにする心なきテロではない。それは1つの答え、報復、天罰でさえあった」
 こうした状況があればこそ、アメリカはテロへの反撃にあたって「イスラム世界の反発」を考慮せざるをえない。パキスタンは、自国の基地を米軍が使うのを許さないだろう。サウジアラビアはアメリカ支持を表明するだけで精いっぱいだし、エジプトは攻撃をできるだけ限定的なものにすべきだと主張する。
 これはアメリカに対する聖戦だと、ビンラディンだけが思っているのなら問題はない。だが現実には、イスラム圏に住む数えきれないほどの人たちがそう信じているらしいのだ。
 
宗教では説明できない
 
 この厄介な現実を前に、一部には欧米とイスラムの「文明の衝突」といった古い議論を蒸し返す論者もいる。歴史家のポール・ジョンソンは、イスラムは本質的に不寛容で暴力的な宗教だと論じた。これに反論して、イスラムの教えは殺人を非難しているし、自殺を禁じていると指摘する学者もいる。
 この際、宗教論争は無益だろう。宗教は人の善良な部分を引き出しもすれば、最悪の部分を引き出しもする。キリスト教も過去には異端審問や反ユダヤ主義を支持してきたが、人権や社会福祉を推進してもきた。
 歴史書をひもといても、大して期待はできまい。11世紀の十字軍から15世紀のオスマン帝国の拡大を経て、20世紀の植民地主義の時代まで、イスラムと西欧は武力衝突を繰り返してきた。両者の緊張関係は何百年も前から続いているが、その間には平和と和解の時期もたびたびあった。たとえば1950年代まで、ユダヤ教徒とキリスト教徒はイスラムの支配下で平和的に共存していた。
 しかし、ここ数十年で状況は一変した。なぜか。これこそが今、私たちが問わなければならない問いだ。なぜ世界は今、こうも困難な時代にあるのか?
 イスラム世界でいったい何があったのか。2001年9月11日のテロ攻撃を生み出した背景には、1453年のコンスタンティノープル陥落や1683年のウィーン包囲にいたる経緯とは別の何かがあったはずだ。
 現在のイスラム世界を見渡してみるといい。極端な反米感情に出合うことはほとんどない。最大のイスラム国家インドネシアは、少なくとも数年前まではアメリカの助言に従って経済面で一定の成果を上げてきた。
 イスラム人口でインドネシアに次ぐのはパキスタンとバングラデシュだが、どちらでもイスラム教と近代化の融合がそれなりに実現している。どちらも貧しいが、大半の欧米諸国より先に女性首相を誕生させた。トルコは、欠点はあるものの政教分離の民主国家として機能しており、NATO(北大西洋条約機構)にも加盟している。
 
カギを握るのは中東
 
 しかし、中東は違う。そこには、いま私たちがイスラムと結びつけて考えがちなものが明らかに存在する。イラン、エジプト、シリア、イラク、ヨルダン、イスラエルの占領地、ペルシャ湾岸。どこでもイスラム原理主義がよみがえっている。そして自爆テロの志願者がいる。
 アフガニスタン攻撃にあたって、忘れてほしくない事実が1つある。今回の対米テロに関与したアフガニスタン人は1人もいないのだ。アフガニスタンには、アメリカと戦うアラブ武装勢力の拠点があるだけだ。
 だがアラブのアメリカに対する激しい怒りでさえ、その歴史はわりと新しい。50年代、60年代には、アメリカとアラブの文化的衝突など思いも寄らぬことだったのである。エジプトで最も影響力のあるジャーナリストのムハメド・ヘイカルは、当時の雰囲気をこう伝えている。
 「アメリカのすべてが魅力的だった。イギリスとフランスは斜陽の帝国で嫌われ者。ソ連は8000キロのかなたにあり、共産主義のイデオロギーはイスラムの教えと相いれなかった。しかしアメリカは第二次大戦後に、かつてないほど豊かで強大で魅力的な国として現れた」
 私が初めて中東を訪れたのは70年代前半のことだ。当時でさえ、アメリカは速い自動車やヒルトンホテルやコカ・コーラを運んできた近代的で素敵な国とみられていた。
 しかし、この地で何かが起きた。それは何か?中東にわき出た激しい反米感情のルーツを求めて、以下では過去30年余の歴史を振り返ってみる。
 
アメリカに対するアラブの怒りもその歴史はわりと新しい1950年代にはアメリカとアラブの文化的衝突など思いもよらなかった

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Chapter I  The Rulers  アラブの理想は無残に崩れた
近代化をめざした「アラブの団結」は失敗に終わりその後の石油による莫大な富も権力の腐敗しか生み出さなかった
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 ガマル・アブデル・ナセルのエジプト大統領就任に、アラブ世界は熱狂した。1950年代後半のあの興奮には、筆舌に尽くしがたいものがあった。
 それまでアラブ諸国は数十年もの間、植民地政府か退廃的な王家の支配下におかれていた。悲願の独立を果たしたナセルは、新たな救世主だった。
 ナセルはイギリス統治時代、アラブ文化よりも地中海文化の影響が強い国際都市アレクサンドリアに生まれた。青年期を過ごした陸軍も、エジブト社会では最も西洋化された世界だった。
 仕立てのいいスーツにサングラス姿で国際政治の舞台にさっそうと登場したナセルは、「エジプトの獅子」の異名を取り、アラブ世界を代表して発言した。
 アラブの政治には民族自決、社会主義、アラブの団結といった近代的理念が必要だと、ナセルは信じていた。そして当時のエジプトは、押しも押されもせぬ中東のリーダーだった。
 
30年前より状況は悪化
 
 ナセルの理念は中東全体の理念となった。シリアとイラクのバース党政権から、ペルシャ湾岸諸国の保守的な王族まで、誰もが同じ夢を口にした。近代化は中東全体の悲願だった。
 だが、望みはかなわなかった。アラブ各国の指導層が、誤った構想を誤ったやり方で実現しようとしたからである。
 社会主義が官僚主義と停滞をもたらし、各国の経済はほとんど成長しなかった。共和制は独裁制に変わり、第三世界の「非同盟」主義は親ソビエトのプロパガンダと化した。
 各国がそれぞれの国益追求に走り、アラブの団結は崩壊していった。最大の打撃は、67年と73年の中東戦争でイスラエルに屈したことだった。
 そして90年にサダム・フセイン率いるイラクがクウェートに侵攻したとき、かすかに残っていたアラブ世界の理念は完全に打ち砕かれた。
 今のエジプトを見ればいい。ナセルの約束は悪夢に変わっている。政府が効率的に機能している分野はただ1つ、反体制勢力の弾圧と市民社会に対する抑圧だけだ。過去30年間に人口が倍増する一方で、経済は低迷。失業率は25%に及び、求職者の9割を大学卒が占める。
 かつてアラブ世界の知的活動の中心地だったエジプトで、今や書物の出版数は年間375点にすぎない(イスラエルでは4000点)。
 だがそれでもエジプトは、他のアラブ諸国よりはずっとましな状況にある。シリアは、世界で最も抑圧的な警察国家の1つとなった。アラブ諸国で屈指の近代的国家だったイラクは、サダム・フセインの誇大妄想に翻弄されている。
 かつて「東のパリ」と呼ばれたベイルートを首都にもつレバノンは、コスモポリタン社会が戦争とテロの地獄と化した。
 驚くべきことに、ほぼすべてのアラブ諸国が世界的な流れに反して、30年前よりも自由度の低い社会になっているのだ。
 
湾岸戦争の認識ギャップ
 
 強欲の独裁者といえばアフリカというイメージがあるが、中東の独裁者も引けを取らない。
 イスラエルの成功と比べれば、アラブの失敗はなおさら屈辱的だ。イスラエルにも問題はあるものの、同じ砂漠の地から民主主義社会を築き上げ、ハイテク経済による繁栄と芸術・文化に富む市民社会を生み出した。
 大半のアラブ諸国は貧困ゆえに失敗したが、富ゆえに失敗した国々もある。70年代に産油国の強みが一気に高まったとき、アラブの希望は再び高まった。ナセル流の国造りは失敗したが、石油が成功をもたらす、と。
 だが、それもむなしく終わった。過去30年にわたる原油価格の上昇は、ペルシャ湾岸諸国にうわべだけ欧米風の新富裕層を生み出しただけだった。その彼らは、アラブ世界の嫌悪と侮蔑の対象となっている。
 アメリカ人は、湾岸戦争でクウェートとサウジアラビアを救ったアメリカに、アラブ諸国は感謝すべきだと考えている。ところが大半のアラブ人は、アメリカが救ったのはクウェートとサウジアラビアの王族だけだと考えているのである。
 湾岸諸国の王族が湯水のように使った金は、ほとんど想像を絶する額にのぼる。サウド王家のある王子は、25歳でリヤドに3億ドルの宮殿を建てたばかりか、サウジアラビア政府とAT&Tの契約の手数料として10億ドルを手にした。
 
富が抑圧をもたらした
 
 富は政治的進歩をもたらすどころか、悪影響を与えている。湾岸諸国の政府が富によって権力を強め、さらに抑圧的になったからだ。国民生活は豊かさこそ増しても不自由なものになり、若者は不満と失望のなかにいる。
 そして、そうした若者たちの一部が今、アフガニスタンに住み、ウサマ・ビンラディンの下で働いている(ビンラディンと側近の一部はサウジアラビアの特権階級の出身)。
 80年代後半、世界が共産主義の崩壊を見守っていたころ、アラブ人は依然として年老いた独裁者や腐敗した王家の支配下にあった。
 60年代に熱い期待を受けていた各国の政権も、もはや腐敗した搾取体制であることが明らかになり、国民の信望を失った。そしてその多くが、アメリカの親密な同盟国なのである。
 
王族たちの甘い生活
 ファハド国王を頂点とするサウジアラビアが手にする莫大な富は、ごく一部の特権階級が独占しており、国民は逆に生活の自由を狭められている

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宗教  A Merger of Mosque and State  アラーは自爆テロを許したもうか
国家が政治目的でコーランを「解釈」 −−−アラン・ザレンボ
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 シェイク・ムハンマド・ラファアト・オスマンは孤独だ。彼はカイロのアズハル大学でイスラム法を教えているが、教室には誰もいない。
 オスマンは、たとえ合法的な聖戦でも、コーランは自殺を無条件に禁じていると主張する。そんなことを言う聖職者は、エジプトには数えるほどしかいない。
 「イスラムの教えをどう解釈しても、例外を認める根拠はない。殺されるかもしれない状況に身をおくことは許されるが、承知のうえで命を捨ててはならない」と彼は言う。
 「武装していない無実の人を攻撃することも禁じられている。預言者ムハンマドは、女性と子供と老人を殺してはならないと説いた。攻撃していいのは、兵士と武装した市民だけだ」
 オスマンのように学問的に誠実であろうとする聖職者がイスラム世界で珍しいのは、イスラム教と国家権力がしばしば一体化しているからだ。つまり、コーランの解釈が純粋な学問というより政治問題になってしまうのだ。
 
●自爆テロは自殺と同じ
 
 とくにエジプトのように、純粋なイスラム国家の建設をめざす勢力を追いやろうとしている国では、宗教はしっかりと「管理」される。
 したがって、中東のイスラム聖職者の大半が、アメリカに友好的な自国の政府にならってテロを非難したのも驚くことではない。
 彼らは、コーランを根拠に殺戮を正当化するのは、教えを曲解していると説く。ただし、パレスチナ人による自爆攻撃は例外とされる。大半のアラブ政府が、イスラエルを敵とみなしているからだ。
 これに異議を唱える、勇気ある聖職者もいる。サウジアラビアのシェイク・アブドルアジズ・ビンアダブラ・アルシェイクは言う。
 「ジハードはまちがいなく、イスラム教で最も尊い行為だ。しかし、敵の真ん中で自爆する行為は、シャリーア(イスラム法典)で認められているだろうか。そもそもジハードと言えるだろうか。自殺と同じではないか」
 
●声を潜める自爆批判派
 
 エジプト宗教界の実力者シェイク・ムハンマド・サイエド・タンタウィは、9月11日の自爆テロを「無実の人を標的にしたテロ行為」と非難した。だが、すぐにこうつけ加えることも忘れなかった。「テロリストと、祖国を守る者は大きく異なる。私たちはパレスチナ人の味方だ。彼らの行いは正しいからである」
 穏健派でさえこうなのだから、オスマンが声高に自爆テロを批判しないのも理解できる。彼はエジプト政府のイスラム教の解釈や、パレスチナの闘争にも理解を示す。
 それでも、コーランには「どんな理由であれ、自殺を認める文言はない」と、オスマンは言う。「自爆攻撃をする人は、それがアラーの神に仕える唯一の方法だと主張するだろう。だが、アラーはそんなことを求めていない。仕える方法なら、ほかにもある」
 オスマンはときどき、ナイル川のデルタ地帯にある故郷の村で礼拝を執り行う。しかし信者の前では、自爆攻撃について多くを語らない。

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Chapter II  Failed Ideas  近代化への失敗の末に
自由化を拒むアラブ諸国には西欧文明にあこがれつつも近代化にことごとく失敗した過去がある
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 私は10年ほど前、年配のアラブ人学者に疑問をぶつけたことがある。なぜ中東諸国の政府は、東アジア諸国のように経済と社会を自由化できないのか。
 彼は毅然と反論した。「シンガポールや香港、韓国を見るがいい。アメリカの安っぽいコピーだ。漁村のような国にはそれでいいのかもしれないが、私たちアラブ人は世界の偉大な文明の継承者なのだ」
 アラブ世界の問題の核心にあるのは、こうした欧米への幻滅だ。今や彼らにとって近代化とは西洋化、あるいはさらに悪いアメリカ化を意味する。
 グローバル時代と向き合うことについて、アラブ世界はアフリカよりも遅れている観がある。少なくともアフリカは、グローバル経済に適応したがっている。だがアラブ世界は、その最初の1歩すら踏み出していない。
 かつて近代化に意欲を燃やした彼らが、なぜそれを拒むようになったのか。
 中世のアラブ人は、西欧で忘れ去られていたアリストテレスを学び、代数学も生み出した。そしてナポレオンがエジプトを征服した後の19世紀に、彼らは西欧文明の力に魅了される。
 
オイルマネーの力でも
 
 20世紀前半にかけての植民地時代には、アラブの王族やエリート層がこぞってイギリスに留学した。第一次大戦後には、短期間ながらエジプトやレバノン、イラク、シリアなどに自由思想の時代が訪れる。
 この流れは王族や貴族から生まれたものだったため、旧体制の崩壊とともに途絶えた。だがその後の新体制も、同様に西欧思想の影響を受けることになる。
 エジプトのナセルが唱えた汎アラブ主義も、かつてイタリアやドイツをまとめ上げたナショナリズムと同種のものだった。
 アメリカ人は、近代性は善だと考えている。だがアラブ世界にとって、近代化は「失敗」を意味する言葉となった。
 イランのモハマド・レザ・パーレビ国王は、早急な近代化をめざし、イスラム革命を招いた。だがパーレビ国王の近代化とは、実のところ石油による富で近代化を買おうとする試みだった。
 近代化には、強力な支配者とオイルマネー以上のものが必要なのである。キャデラックであろうとマクドナルドであろうと、モノは簡単に輸入できる。だが自由市場や政党政治、法の支配といった近代社会の骨格を採り入れることは、困難であるばかりか危険も伴う。
 
ゆがんだグローバル化
 
 ペルシャ湾岸諸国は、モノばかりか労働者まで輸入して「疑似近代性」を手に入れた。各国政府は、国民に豊かな生活を与える代わりに権力を維持するという取引をした。
 そして今、アラブ世界は奇妙な形でグローバル化の波に揺らいでいる。アラブ社会の開放度は、混乱を受けるには十分だが波に乗るには不十分なのだ。
 アラブ世界の市民は、欧米のテレビ番組を見てファストフードを食べているが、まだ本当の自由社会――機会の平等と透明性――には暮らしていない。つまり、西側の商品と広告だけが流れ込んでくる状況だ。
 一般市民にとって、それはさらに欲しい物が増えることを意味する。政府にとっては危険な状況であり、一般市民とグローバル化の接点をできるだけ減らそうと動くことになる。
 グローバル化の中心にいるのはアメリカだ。もはや、その力は止めようがないようにみえる。国境を閉鎖しても電子メールで、メールを検閲してもファストフードという形で、アメリカはアラブ世界に入り込む。
 こうした変化がどれだけ革命的な影響力をもつのか、グローバル資本主義と消費文化に浸りきっているアメリカ人には想像もつかない。
 古い価値観と新しい価値観のはざまで方向性を見失ったアラブの若者たちは、より純粋かつ単純な選択肢を求めている。そうした彼らの心に訴えるのが、イスラム原理主義だ。そしてイスラム原理主義もまた、グローバル化している。
 
若者が革命の原動力に
 
 今やインドネシアのイスラム教徒も、パレスチナの大義を共有している(20年前ならパレスチナの場所すらあやふやだったかもしれない)。
 こうした人々は、欧米に出て「反欧米」の道に出合うことが少なくない。ハンブルクで学び、世界貿易センタービルに突っ込んだ飛行機を操縦したとされるモハメド・アタもその1人だ。
 アタのような人物をかかえるアラブ世界は、幾重にも問題をかかえている。グローバル化は、人口動態の面でも悪いタイミングでアラブ世界を襲った。
 アラブ諸国の多くは、人口の半分以上を25歳未満の若者が占めている。親の世代よりも高い教育を受けた彼らは、職を求めてカイロなどの都会やペルシャ湾岸の産油国をめざす。
 彼らはそこで、貧富の差や近代化の影響を目の当たりにして混乱する。最もショックを受けるのが、女性が公の場でベールをかぶらずに食事をしたり、男性と肩を並べて働く姿だ。
 こうした若者が大挙して一国に流れ込む状況は危険だ。たとえ小規模でも経済・社会的な変化をきっかけに、新たな抗議勢力を形成することになる。
 このような状況におかれた社会ではしばしば革命が起きている(フランス革命もイラン革命も直前に若者の人口が増加している)。アラブ世界では今、イスラム復興という形で革命が起きているのである。

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Chapter III  Enter Religion  正しい国家をめざして
世俗主義的な政権に対する幻滅と欧米化に対する反発から原理主義が台頭モスクが政治を議論する場になった
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 エジプトのナセル大統領(当時)は敬虔なイスラム教徒だったが、決して政治に宗教を持ち込まなかった。
 ナセルの政権樹立を支援したイスラム諸政党はこれに反発。なかでも激しく抵抗したのがイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」で、その運動はときに暴力化することもあった。1954年、ナセルは同組織の弾圧を決意。幹部1000人以上を収監し、6人を死刑に処した。
 収監された幹部のなかに、論客として知られたサイード・クトゥブもいた。彼が獄中で執筆した『道標』は現代のイスラム政治運動、いわゆる「イスラム原理主義」の出発点と位置づけられている。
 同書でクトゥブはナセルを背教者と呼び、その政策はイスラムの教えに反していると糾弾した。そして、その他のアラブ諸国も同じように堕落していると決めつけた。クトゥブが思い描いていたのは、厳格なイスラムの戒律に基づく理想国家の建設。それは正統派のイスラム教徒が1880年以来、めざしてきたものだった。
 
ファシズムとの共通点
 
 ナセルの死後、アラブ諸国で政治的な抑圧と信仰の空洞化が進行するなか、イスラム原理主義は人々の心をつかんでいった。変わりゆく世界のなかで、彼らは人々に、少なくとも生きる意味と目的を与えようとしていた。それは、当時の中東の政治家たちに欠けていた姿勢だった。
 中東問題研究の第一人者であるフアド・アジャミは、著書『アラブの窮地』で次のように述べている。「原理主義が共感を呼んだ理由は、男たちに参加を呼びかけた点にある……それは国民を傍観者におとしめ、すべてを為政者にゆだねさせようとする政治風土とは対照的だった」。原理主義はアラブ人の不満に抵抗の言語を与えたのだ。
 しかも、彼らにはライバルがいなかった。アラブ世界は政治の不毛地帯であり、真の意味で政党と呼べるものも、言論の自由もなく、反対意見を述べる場も閉ざされている。だから、イスラムのモスクが政治を議論する場になった。
 ムスリム同胞団やパレスチナの「ハマス」、レバノンの「ヒズボラ」といった原理主義組織は、言葉を操るだけではない。さまざまな社会サービスや医療、住まいの提供などを積極的に行っている。
 「かつてのファシストは、きわめて効果的に社会サービスを提供した」と指摘するのは、ヨーロッパにおけるファシズムの台頭を研究しているプリンストン大学のシェリー・バーマンだ。「国家または政党が権力の正統性や目的意識、基本的サービスを国民に与えない場合には、他の誰かがその穴を埋めようとする。イスラム原理主義という形態はこの地域固有のものだが、その基本的な力学はナチスやファシズム、アメリカにおけるポピュリズム(人民主義)の台頭に共通している」
 イスラム原理主義台頭の起爆剤になったのは、79年のホメイニ師によるイラン王制の転覆だ。イラン革命は、どんなに強力な政権もその社会に根ざした力によって転覆されうることを示しただけではない。腐敗した社会では、教育や技術のささやかな進歩が世の中を動かす力になりうることも証明した。
 70年代まで、中東のイスラム教徒の大半は読み書きができず、こぢんまりした共同体の中で暮らしていた。彼らが信じていたのは、ローカルな文化に融合した民衆の信仰としてのイスラムだった。
 多文化主義で寛容な風土の中で、彼らは聖人に祈り、聖堂に通い、聖なる歌を口ずさみ、宗教芸術を大事にしていた。いずれも、本来のイスラム教では禁じられていることだ。
 だが、農村の人口が流出するにつれ、宗教的体験は特定の場所に根ざしたものではなくなった。それと同時に、彼らは字を読むことを覚え、原理主義者の説くイスラムの教えを知った。それは風土に根ざした信仰ではなく、厳格な戒律に基づく抽象的な信仰だった。
 
平等主義に落とし穴が
 
 さらに、ホメイニはある強力な技術を利用した。カセットテープだ。彼の説教はテープを通じて辺境地帯にまで届けられ、パーレビ国王打倒の機運を広めていった。
 イスラムを政治的に利用したのは、ホメイニだけではない。中途半端で性急な現代化がイスラム世界を混乱に陥れたことに幻滅した知識人たちは、「欧米化の害毒」を非難する本を執筆。欧米かぶれの現代イスラム人を「根なし草」と評した。こうした論調は、しだいにアラブ世界に広がっていった。
 イスラムは全体として、優れて平等主義的な宗教だ。無力感をいだいて毎日を生きている人々にとっては、なんとも勇気づけられる教えである。
 イスラムには、宗教的なヒエラルキーも法王も、聖職者の特権も存在しない。だから、「真のイスラム教徒」のお墨つきを与える権威は存在しない。これに目をつけたのが原理主義者で、彼らは人々に、「よきイスラム教徒」となるか否かの選択を突きつけた。
 この論法はイスラム世界全体を震撼させた。穏健派のイスラム教徒でさえ、原理主義の狂信的行為を公然と非難するのは控えたがる。本音を口にしたら自分にどんな災難が降りかかるかを知っているからだ。
 そうして原理主義をのさばらせてきたのが、ペルシャ湾岸の穏健主義的な首長たち。とりわけサウジアラビアの王家である。サウジは内政の失敗を隠すために、コーランの教義を厳守するワハブ派のイスラム神学校を多数建設してきた。ここ30年間、多数の狂信的なイスラム教徒を生み出したのは、これらの神学校である。
 原理主義はアラブ世界だけでなく、パキスタンにまで飛び火した。無血クーデターで政権を握ったモハマド・ジアウル・ハク大統領は11年間の在任中に、手を組む相手としてイスラム原理主義者に目をつけた。ハクはサウジの支援を受け、パキスタン全土にイスラム神学校を建設。政権には一時的な安定がもたらされたが、パキスタンの社会構造は破壊された。
 
内なる欺瞞との戦い
 
 イスラム原理主義の台頭を可能にしたのは、アラブ世界における政治体制の救いがたい破綻だ。イスラム世界のエリートたちは、この事実を直視することを拒んできた。
 その間隙を突いて、少数だがきわめて危険な勢力がイスラム社会を乗っ取ろうとしている。女性を虐げ、教育や経済活動の価値も認めないような勢力だ。私は少年時代を過ごしたインドで、この変化を目撃した。
 次のセクションでは、イスラム世界を助けるためにアメリカができることは何かを探る。だがイスラム教徒自身が、自分たちの宗教を時代遅れな思想の持ち主の手から取り戻そうとしないかぎり、周囲の人間にできることは何もない。

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Chapter IV  What to Do  アメリカの取るべき道
テロ根絶のために必要なのは軍事作戦と政治面での国際的包囲網そして原理主義との「文化の戦い」だ
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 私がこれまで述べてきたことに、ほとんどのアラブ人は強い反発を感じるにちがいない。
 「アラブ世界の失敗を論じるのはけっこうだが、欧米の失敗はどうなんだ? 私たちは、アメリカの冷酷な態度に怒っているんだ」と、彼らは言うだろう。アラブの人々は、アメリカに幻滅し続けてきたのだ。
 アラブ世界のアメリカに対する失望感がとくに強くなったのは、1948年のイスラエル建国以降だ。第三次中東戦争と第四次中東戦争でアメリカがイスラエルを支持したことにより、アラブ人の怒りはますます強くなった。
 怒りの炎を一気に燃え上がらせたのは、アメリカが中心になって行ったイラクに対する空爆と経済制裁だった。
 アラブ人の多くは、イラクの独裁者サダム・フセインに好感をもっていない。だが、アメリカのやり方はイラク国民全体を飢えさせる非人道的なものだと感じている。
 こうした批判には、当を得ている部分もある。そもそも、アラブ人の立場からみれば、アメリカの行動が一貫して公正なものだと思える日は永遠に来ないだろう。国益は、それぞれの国によって違うものだからだ。
 それよりも私は、アメリカのイスラム世界に対する最大の罪は、「怠慢」にあると考えている。アメリカはイスラム諸国に対して、国内で民主化を推し進めるよう圧力をかけることを怠ってきた。
 この怠慢が最悪の結果を招いたのが、アフガニスタンだ。89年にソ連軍が撤退した後、分裂状態の国をそのまま放置したことが、今日のウサマ・ビンラディンとタリバンの台頭を招いたといえる。
 だが、アメリカが怠慢だったとしても、それだけでは、これほど激しい怒りを買う理由は理解しにくい。
 
テロを生む文化的土壌
 
 アラブの怒りを理解するためには、アラブ世界が感じている屈辱や絶望を知る必要がある。
 アラブの人々は、欧米をはじめとする近代世界に包囲されているという不安感のようなものを感じている。そして彼らにとって、アメリカは近代世界の象徴なのだ。
 そのため、アメリカの行動にはことごとく過剰反応する。アラブ世界では今、世界貿易センタービルなどに対するテロは、CIA(米中央情報局)かイスラエルがアラブとイスラムに対する攻撃を正当化するために仕組んだ「自作自演」だという噂まで広まっている。
 自爆テロは、こうした文化的な背景から生まれたのだ。
 アメリカは、このような宗教テロに対抗していかなくてはならない。そのためには、軍事、政治、文化の3つの「戦線」で戦いを進める必要がある。
 軍事的な目的は、はっきりしている。ビンラディン率いる組織「アルカイダ」を壊滅させることだ。
 テロの原因が解明されていようといまいと、テロと戦わなくてはならない。テロを企てている勢力や、それを支援する勢力は、必ず罰せられるということを思い知らせる必要がある。
 
国際協調が必要な理由
 
 一方、政治面での戦いはそれほど単純ではないし、目標はもっと大きい。
 世界では今、アメリカに協力しようという機運が、かつてないほど高まっている。大半の国の政府は、アルカイダのような勢力の台頭を脅威に感じている。イランのように、これまで露骨にテロを支援してきた国も、国際社会に復帰することに関心があるようだ。
 この現状は、ポスト冷戦時代の新しい国際体制を確立するチャンスだ。これから生まれる新たな体制は、アメリカの主要な安全保障上の利益を守るものであると同時に、幅広い国際的コンセンサスに支えられたものであるべきだ。
 これを実現するためには、アメリカは冷戦時代の発想を捨てなくてはならない。国際機関を不信の目で見たり、中国やロシアを潜在的な脅威とみなす態度を改める必要がある。
 国際協調主義を取ることは、戦略上の要請だ。今回のテロとの戦いでは、容疑者の逮捕、組織の拠点の閉鎖、銀行口座の凍結、情報の提供などの面で、各国の協力が欠かせない。
 国際協調が不可欠である理由は、それだけではない。アメリカは世界に君臨しているがゆえに、羨望や怒りや反発を買うことは避けがたい。しかし、国連の安全保障理事会などの国際機関を介すれば、世界の国々もアメリカの覇権を受け入れやすくなるはずだ。
 ジョージ・W・ブッシュ米大統領の父親は、このことをよく理解していた。湾岸戦争の際、ブッシュ元大統領は、武力行使に国連のお墨つきを得ることにこだわった。
 
怒りの根を絶つために
 
 しかし、今回の戦争の最も重要な「戦線」は、軍事や政治ではない。文化の戦いだ。
 アメリカは、イスラム世界が近代世界の一員になるための手伝いをするべきだ。
 いまアメリカと世界が直面している脅威は、イスラム世界の政治的・経済的・文化的な没落を終わらせ、アラブの怒りの根を絶たないかぎり解消しない。
 冷戦時代、西側諸国はさまざまな戦略を駆使して、共産主義の説得力を弱め、民主主義の魅力を訴えることに努めた。イスラムとの文化の戦いに勝つためには、これに匹敵する大々的な取り組みが必要になる。
 第1に、アメリカはアラブの穏健派諸国を支援すべきだ。ただしこれは、それらの国々が穏健な路線を受け入れることが条件になる。
 サウジアラビアをはじめとする穏健派諸国は、イスラム原理主義ときっぱり決別してきたとはいえない。表向きは原理主義を非難しているエジプトでも、政府の管理下におかれたメディアがアメリカやイスラエルに対する狂信的な批判を繰り返している。
 アメリカは、アラブの穏健派に働きかけて、イスラムと近代社会は矛盾するものではないということを人々にきちんと説明するよう促すべきだ。
 イスラムの教えは、女性が仕事をもつことや教育の大切さを認めているし、異なる信仰をもつ人の存在も受け入れている。そのことを、アラブの人々に伝えなくてはならない。
 そしていうまでもなく、タリバンの政権を打倒した後は、アフガニスタンに新しい政治的秩序を確立するための手助けをするべきだ。
 それだけではない。原理主義の影響力が強いパキスタンをはじめ、他のイスラム諸国にも、民主化を促していくべきだ。
 もちろん、それらの国々の現体制と協力する必要もある。しかし、冷戦時代の韓国や台湾の場合のように、強権的な政府と同盟関係を保ちつつ、改革を促すことは不可能ではない。
 
「近代世界」に組み込む
 
 こうして考えると、いまアメリカの直面している課題は、とてつもなく大きく思える。
 しかし、希望をいだかせる要素もたくさんある。世界の国々はアメリカを中心に結集しはじめているし、新しい国際的なコンセンサスも生まれようとしている。
 それに、ほとんどのイスラム教徒はイスラム原理主義を受け入れていないということも、忘れてはならない。
 パキスタンでは、選挙での原理主義政党の得票率は、すべて合わせても10%に届かない。聖職者による厳格な統治を経験したイランの人々は、正常な状態への回帰を望んでいる。
 欧米が後押しすることで、イスラム世界が尊厳を保ちつつ、平和的に近代世界の一員になることができれば、その意義は安全に対する脅威を取り除くことだけにとどまらない。
 そのとき、世界はこれまでとはまったく違ったものになっているはずだ。
 
近代化に乗り遅れたアラブ世界
 
 アラブ諸国は経済、政治、社会構造の近代化に着手しそこねている。その点では、裕福なペルシャ湾岸の産油国も、貧困にあえぐイエメンも変わらない。世界の趨勢に反して、市民に対する抑圧が強まっている国さえある。経済は停滞し、ハイテク化も大きく遅れている。そんなアラブ世界の姿を数字で表すと──
 
A. GDP(国内総生産)1965〜99年の平均年間成長率*
B.市民生活の自由度1=最も自由度が高い7=最も自由度が低い**
C.開発度ランキング162カ国中(1999年)+
D.報道の自由**
E.総人口に占めるインターネット利用者の割合(1999年)*
F.総人口に占める25歳未満の人口の割合(2000年)

    B
モロッコ  4.2% 4 112位 部分的 0.2% 55%
 アルジェリア 3.9% 5 100位 なし  0.1% 57%
 チュニジア 5.0% 5 89位  なし 0.3% 51%
 リビア 0.5% 7 59位  なし 0.1% 58%
 エジプト 5.6% 5 105位 なし 0.3% 56%
 サウジアラビア 4.6% 7 68位 なし 1.4% 62%
 イエメン 不明 6 133位 なし 0.1% 68%
 オマーン 9.5% 5 71位 なし 2.0% 63%
 クウェート 0.0% 5 43位 部分的 5.3% 55%
 バーレーン 不明 6 40位 なし 不明 44%
 カタール 不明 6 48位 なし 不明 39%
アラブ首長国連邦 3.3% 5 45位 なし 16.7% 41%
 イラク -0.3% 7 不明 なし 不明 62%
 イラン 1.7% 6 90位 なし 0.2% 59%
 シリア 5.7% 7 97位 なし 0.1% 63%
 レバノン 不明 5 65位 なし 6.3% 50%
 ヨルダン 4.7% 4 88位 部分的 1.8% 61%

注:一部のアラブ諸国は省略。イランは民族的にはアラブ系ではない。
資料:A.T.KEARNEY, INC., *世界銀行, **FREEDOM HOUSE, +国連

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民族  Muslim Warriors--For America  アメリカへの忠誠とアラブの心に揺れて
米軍のアラブ系兵士が直面する葛藤 −−−ロレーン・アリ
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 ニューヨークに住むライターのスヘイラは、人前で泣いたことがなかった。
 世界貿易センビルで知り合いが死んだことを聞かされたときも、感情をあらわにすることはなかった。彼女が弱音を吐かなかったのは、アラブ系だという理由から、10年も住んできた地区で白い目で見られている両親のためだった。
 しかし、通りかかったニューススタンドで新聞の一面を目にした瞬間、感情が一気に噴き出した。そこに載っていたのは、インド洋に配備された空母の写真だった。
 弟のアハメド(24)が4年前に海軍に入隊して以来、家族はずっとアラブ諸国のどこかで戦争が起きるのを心配してきた。ついにそれが現実となったのだ。
 泣き崩れるスヘイラを、親切な通行人が抱き締めてくれた。「弟が海軍にいるの。私たちはパレスチナ人で、イスラム教徒よ」。その人は同情してくれたが、言い方は冷たかった。「二重の苦しみってわけね」。心は少しも軽くならなかった。
 
●任務を拒否する兵士も
 
 家族が心配しているのは、アハメドが海軍で差別されないかということだ。テロ事件以来、アラブ系アメリカ人に対する差別は後を絶たない。
 「米軍に対するアハメドの忠誠心が疑われないだろうか」と、スヘイラは言う。「同じ民族や宗教の人と戦うのはどういう気持ちなんだろう」
 だが、答えは見つからない。ジョージ・W・ブッシュ大統領が言う「長い戦い」が始まった今、予備役を含め1万5000人いるとされるイスラム教徒の米軍兵士は、同じジレンマに直面するだろう。
 テロとの戦いは、全米のイスラム教徒やアラブ系の心情をかき乱す。なかには、宗教や道義上の理由から、任務の免除を申請する者も出てきた。
 一方で、退役軍人のカシーム・ウクダのように、別の解釈をする人もいる。「これはイスラムに対する戦いではない」と、彼は言う。「大統領が言うように、非道な犯罪を起こした殺人者との戦いだ」
 
●忠誠心は変わらないが
 
 それでも葛藤はなくならない。陸軍病院に勤務するジャマル・アブデルワヘド(37)は、前線に送られたらどんな気持ちになるか想像もつかないと言う。パレスチナ出身の彼が歩兵連隊への入隊を避けたのは、アラブ諸国と戦う可能性を恐れたからだ。
 「イスラム教徒を殺すなんて考えられない。だから医療で国に貢献しようと思った」と、彼は言う。「でも、こうなることは覚悟していた。米軍への忠誠は変わらない」
 アハメドの家族も、彼が海軍に忠誠を誓っていることは承知している。3週間前に出動して以来、電子メールが2通来た。
 「メールを読むかぎり、元気で無事みたい」と、スヘイラは言う。「『万事うまくいく。インシャラー』と、書いてあった。アラビア語で『アラーのおぼしめし』という意味なの。彼はいつだって敬虔なイスラム教徒よ」
 「それに」と、スヘイラは言う。「彼が素晴らしい兵士であることに変わりはない」

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