HOME  ユーラシア事情1975年  1.社会主義とは  2.民主主義の実現  3.君たちの課題

卒業を祝す(1991年3月1日)

 君達の卒業を迎えるにあたり、担任として最後のお話です。それは自分自身の反省と深く関わり、また君達の高校在学中に生じた社会主義国家の崩壊です。今の君達はこの事の持つ真の意味をとうてい理解し得ないでしょう。もっと歳をとり、もっと賢くなったらやがてわかるでしょう。私は今そのことが起こったことを決して忘れないだろう。それほど私にとって衝撃的なことでした。

1.社会主義とはなんだったのか

 自分の日記からブレジンスキー著の「大いなる失敗」を読んだ日(1989年12月25日)の記述を拾ってみる。

「・・・・・・・・・そもそも共産主義、社会主義というものに出会った最初は小学校のころ市立図書館で読んだ、人工衛星スプートニクやライカ犬をのせた宇宙船の成果を説明する児童向け科学漫画であったと思う。そして、中学高校のころ読んだ科学技術の成果が切り開く自然改造計画によるバラ色の未来を描いたソ連の少年少女向け科学読み物だった。今振り返ってみれば、あの時代は共産主義の歴史のなかでも例外的に将来の展望が開け工業生産の成果があがりソ連もフルシチョフのもとで社会主義に最も自信を持っていたときだった様だ。(事実はそうで無かったのだが少なくとも当時はそう見えた。)
 そして私は大学生になった。思い返せば私自身は大学以来一貫して社会民主主義者だったように思う。大学時代は当時の日本のマルクス経済学者のようにまだまだ共産主義というものに淡いあこがれと期待をもっていた。特に大学1、2年のころはベトナム戦争もあってアメリカ的な資本主義社会の論理が許し難く、それに対する反動もあって。
 しかし大学の卒業のころから色々な本や雑誌でソ連の内情が解ってくるにつれてどうもおかしい、こんなはずでは無いはずだがという思いが始まった。それは大学及び卒業のころ読んだニーナ・コステリナやパステルナークやソルジェニーツィンに始まって、その後は内情を知れば知るほど共産主義、社会主義への幻滅がつのるばかりだったように思う。まさに知れば知るほどその繰り返しであった。
 その思いを深めたのは26歳、大学院生時のソ連・東欧の旅行だった。その旅行での見聞は「ああ、社会主義というのは旨く行っていないのだな!」という実感としての体験だ。さらに決定的だったのは中国における文化革命の完全な失敗である。文化革命の初期のころ、中国で起こっていることが何を意味するのか良く解らなかった。そんなとき読んだアルベルト・モラビアの「中国の文化革命」(邦題「私の中国観」)はまさに明快な解答を与えていたと思う。しかし結局文化革命は単なる権力闘争であり、毛沢東は人間の本生をまったく見誤っていたのだ。皮肉な事に彼自身の本性も含めて。そして毛沢東はその晩年にはどうしようもない独裁者に変貌して行く。更に幻滅にだめを押したのはソ連のアフガニスタン軍事介入だ。ちょっとした理性的な判断力が在ればソ連が意図するような事が成るはずはないということはすぐに解るのに。ソ連の指導体制はその程度の判断力も持ち得ないのか、ソ連の官僚制はそれ程までに硬直しているのか、と暗然たる思いだった。戦後においても多くの知識人といわれる人々をして惑わしてきた共産主義の教義(今では信じがたいことだが、かっては自らの意志でソ連のスパイになり共産主義に自己を捧げるという知識人は後を断たなかったのだ)はまさに幻影だったのだ。20世紀はブレジンスキーの言うように共産主義という大いなる実験とその幻影にまどわされた世紀だったようだ。
 ブレジンスキーの本を読んで目がさめる思いだったのは、”レーニンまで否定しなければならない”ということだ。革命後その晩年にソ連の将来に存在する暗雲を明確に看破し、スターリンを取り除き書記局への権力の集中化を防ぐ最後の努力をやろうとしたレーニン、政治革命の後には文化革命により人間の本性を改革しなければならないと考えたレーニン、あらゆる事に聡明に対処したレーニン(と思っていた。スターリンに対する反動から、えてして晩年のレーニンは美化されすぎた)だったのだが、良く考えてみると今日の社会主義の矛盾はすべてレーニンの取った行動、方針の中にあったのだ。今にしてレーニンの言動を曇りのない目で読みなおしてみれば全ての芽はレーニンの中にすべて存在したことが解る。レーニンは幸せにもそのことに気付く事なく死んだが。冷静に考えて見れば、ブレジンスキーを読むまでにそのことに気付くべきであった。気付いていたのかもしれない。しかし自分自身、そのことに気付く事をあえて先送りにしてきた観がある。そういった意味において、この本は私にとって社会主義、共産主義に対する様々な思い(それらについては早くから(大学卒業のころから)幻滅し初めていたが)に総決算を告げる本だ。・・・・・・・・・・・・・」

 それでもこの認識はまだまだ甘かったのだ。その後東欧、ソ連、中国の過去が暴き出されるにつれ実状はもっともっと悲惨でどうしようもないものだったのだ。それは粛正に継ぐ粛正。胸の悪くなるような虐殺と支配の連続だったのだ。ソ連の経済学者S・ブラギンスキー、V・シュヴィドコー著「ソ連経済の歴史的転換はなるか」講談社現代新書、NHKスペシヤル「社会主義の20世紀」、ソールズベリー著「天安門に立つ」、新華社人民日報記者団「中国人の苦悩」等々を読まれたし。

 それでまず私の言いたいことは、それほど我々は知らなかったのだということです。我々の隣の国中国やソ連で起こっていることさえ何も知らなかった。情報がもたらされたのち、その事実と当時我々が持っていた認識との落差にいまさらながら驚く。当時なんとなくもやもやとして理解できなかった事実のつながりを今日の新しい情報はすべて明らかにしてくれる。これはまさに目のさめる思いでした。
 丁度自分自身が生きてきた時代に重なって、様々な出来事が生じ、その事件を報じる報道を日常的、断片的に受け取ってきたからゆえに、それらの情報から構築されていたソ連、東欧に対する認識と、現実に起こっていた事実とのギャップの大きさにいまさらながら驚愕するとともに、そのことが解らないために長い間誤った考え方に捕らえられていた事実に驚く。これはソ連人自身でさえもその誤りに気付き得なかったという意味においてさらに重大である。それほど我々は世の中を正しく知る事から妨げられている。また誤った考え方に取り付かれやすい。そしてたとえ気がついても、その誤りに学んで方向を修正するのはその当事者であってもきわめて難しい。
 私の言いたいことは、我々の判断の基準はとてもいい加減で不完全なものであり、本当に正しい事を見きわめるのはとても難しい、しかしそれでもそのいいかげんなままやるしかない、他に方法はない、ということである。あらゆる情報へのアクセスをあらゆる人に完全に保証して、民主主義にのっとり皆で考えながらやるしかないのである。

 社会主義の指導者というのは例外なく自分が偉い人間であり、人民大衆を指導し導かねばならない使命とその能力を持つていると思いこむようだ。いまにして思えばこの傾向は世のあらゆる社会主義社会の指導者にあてはまる。
 彼らは何れも貧富の差を解消するための社会主義革命や植民地主義に対する独立革命や宗教革命の様に初期には多くの人民に支持された形の暴力革命から成り上がってきた。そして彼らは例外無く死ぬまでその地位に存在し続け晩年はどうしようもない独裁者に変貌して行く。これは社会主義というものが必然的にピラミツド状の権力機構を作りだし、ピラミッド状の政策下達機構のみからなることに起因する。そのためかれらは大衆から批判されるメカニズムを持たない。だから民主主義をたとえ形式的なものであれ達成する機構をもたない。
 それだけの権力を他から批判される事なく行使する立場に立ち得るということは、反対者を容赦なく粛正していくことができるということである。その結果独裁者はイエスマンのみに取り巻かれて自己批判能力を失っていき、また官僚機構を構成する役人は必然的に腐敗していく。
 本来共産主義国家というのは選ばれた少数の優れた人間が残りの全ての人民を治め導くという思い上がった考えから造られた国だ。そう言った優れた人間など何処にもいやしないのは長い歴史が証明している。今日あらゆる事実は共産主義の中央集権的官僚独裁の体制は旨く行かず、やはり国を旨く運営するには民主主義しかない事をしめしている。

HOME  ユーラシア事情1975年  1.社会主義とは  2.民主主義の実現  3.君たちの課題

2.民主主義の実現

 それでは民主主義とは何なのか。それを実現し、持続させる鍵は何なのか。

<第一>に、世の流れ国の政策を決める立場にある人(つまり議員)が人民の選挙によって選ばれることにある。そして議員がいくら無能であってもかまわないが、必ず実際の政策を実行する官僚機構の権力構造の上に位置することである。そして、為政者の取り替えが効くメカニズムを大衆が保持しておくことです。 

<第二>に重要なことは健全なジャーナリズムの存在です。民主主義を実現する上でジャーナリズムが果たす役割は非常に大切です。代議員の選挙だけでは民主主義を全うすることはできない。選挙というのはなかなか大変な行事だからそうたびたび行う事はできないし、行政の能率面からいっても代議員をそんなに頻繁に取り替えることはできない。また歴史が示しているような選挙制度というものは世の政策実行者によりいかようにでも改悪できる。そして為政者も権力を維持するために様々な利権に絡んで腐敗しやすい。だから、つねに世の不正や矛盾を見つけだし、分析、批判し改善へ向かっての世論をつくり出すことができるジャーナリズムの存在が不可欠になる。そのことにより選挙民の選挙のときの為政者選択眼をかたちづくる。
 そういった世論をつくり出す新聞や雑誌は結局読者一人一人の購読に支えられている。だから健全なジャーナリズムの育成はどの雑誌、新聞を購入するかという読者一人一人の選択眼にかかっている。その選択眼こそが民主主義の原動力だ。もし多くの人々が極端な意見を展開する媒体に偏ってしまって、正論を唱えるものを顧みなければ、その雑誌社、新聞社はつぶれてしまう。雑誌社新聞社の成長も資本主義の論理に乗っ取っているが、雑誌、新聞の購入時の選択を通じて人民一人一人は社会の政策に参加しているのだ。国民皆が間違った方向を選んだときはそれでしかたがない。みんなが総意の基に選んだ道だから、それが滅亡への道で在っても甘んじて受けなければならない。

<第三>に大切なことは、自由で広範な経済活動が存在することです。民主主義を実現するためにはそのことが不可欠です。その大切さを示す好例が今のイラクです。いまこの原稿を書いている時点(1991.2.10)でイラク紛争の行方はどうなるか判らないし、この戦争の是非を論じるのは難しい問題であるが、一つだけはっきりしていることがある。それはフセインイラクを初めとしてアラブ諸国はどの国もおおかれすくなかれ全体主義独裁国家だということです。つまりこれらの国々は、多様な商品の生産流通に拠って運営され、多様な利害関係を持つ様々な政治勢力で構成され、それらの利害の対立にたいして柔軟な調整能力を持つ政治形態が存在する近代国家とは根本的に異なる。
 これらの国の経済は市場原理で統合、運営されるのではなく、石油の輸出収入と石油代金を消費しての国造りと商品の買付けだけでなりたつ統制経済である。そこには市場原理を必要とする種々の製造業が育っていないし、また必要としない。だからその国の政策も石油代金を消費して行く事が主な活動であり、その石油代金の使い道を決定する少数の支配者とそれらを頂点として構成されたピラミッド構造の官僚機構のみからなる政治行政機構しかもたない。経済の基を独裁者、官僚におさえられては、一般民衆はそれらの言いなりになるしかない。これらの権力機構は他からの、とくに国を構成する一般大衆からの批判メカニズムを持たない。自国の民衆や、他の交易国からの批判メカニズムを持ち得ないし、持つ必要もないというところが重要である。だからこそフセインやホメイニの横暴がまかりとおる。
 日本やアメリカの様な自由主義経済でかつ広範な製造業、サービス業が育ち繁栄している国ではそれらの経済活動をささえる種々の企業、商社、農民、マスコミ、それらを支える一般大衆の民意を無視して国を運営することはできない。政策決定もそれらの存在を無視しては行えない。
 だから民主主義を実行するには自由な経済の活動と、それらをささえる多用な製造、サービス業の存在が不可欠なのだ。そう言ったものが存在して初めて国は民衆の総意に拠って民主的に運営できるし、そうせざるをえない。

HOME  ユーラシア事情1975年  1.社会主義とは  2.民主主義の実現  3.君たちの課題

3.君たちの課題

 しかし様々な製造業、サービス業が繁栄し、社会が豊になり複雑になるにつれ、その運営はますます困難になる。人間社会を運営する知恵の集合体としての社会科学の重要性はますます大きくなる。
 昨今の共産主義、社会主義の失敗を見るにつけ、また資本主義社会における企業の隆盛衰退を知るにつけ、経済学、政治学、法律学の諸社会科学には自然科学に負けず劣らずのメカニズム論理の深みと知識の集積がある。
 人間は今日の社会を運営していく上で多くのノウハウを必要とするようになった。種々の社会学的な知識と論理的分析を必要とするようになった。それだけ複雑な社会に成長してきた。会社一つ起こすにしても様々な手順を踏んで実行しなければならないし、将来を見通さなければならない。また会社を吸収合併するにしてもその成功の可能性の見積、交渉のすすめかたには膨大な知識を前提とするし、論理的解析を必要とする。今日の市場メカニズムは複雑怪奇で膨大なものに成長していおり、その分析はもはや簡単ではない。
 しかし今日の資本主義社会はそのメカニズムに乗っ取って動いている。しかもかなり効率よく。それは共産主義社会における官僚の計画経済の稚拙さに比べるとはるかにダイナミックかつ奥深いものであり、能率的で柔軟である。そしてそれらのメカニズムを統合するものとしての種々の法律、政治理念がある。それらは人間が長い間かかって開発改良し育て上げてきたものである。
 その中にこそ資本主義経済の英知が含まれている。企業家、資本家は生き残り発展するためにそのノウハウの取得と研究にしのぎを削る。

 さらに自然科学や工業技術の進歩はその複雑な社会を運営し、豊かな生活を獲得する上での強力な基盤を与える。
 科学技術の成果に伴う生産性の向上、そのことからくる余暇の増大、生活の多様化。新しい職業、新しいサービスの発生。それらの多様な生産分野、商業分野、サービス分野の間の商品の運送手段の進化。多様な分野の連絡調整のための情報を制御する通信、放送技術の進化。高い生産性を誇る生産技法の獲得や、コンピューターネットワークによる情報化社会の到来を以て初めて上記の複雑な社会を我々は運営することができる。情報の流れを迅速且つ円滑に制御できてはじめて分業が円滑に進み、職業の専門化、高度化がさらに可能になり、さらなる生産性の向上を生み出す。人間は分業し且つ相互に依存し合った共同生活をする事により高度な文明生活を築くことを可能にしてきたのだ。
 また自然や科学技術についての知識、自然科学が提供する考え方は今後ますます重要になっていくでしょう。これだけ地球上に人間が増え、その活動が大規模なものになってきた今日、人間がその生活基盤とする自然そのものが人間の活動に大きく影響されるようになってきた。限りある資源、微妙なバランスの上になりたっている地球環境。もはや無制限の人類の増殖、無制限の経済活動の増大は許されなくなっている。人間が高い生産性に支えられた豊かな消費生活を享受するためには、人間の生殖活動そのものをコントロールして総人口数そのものを制限して総消費量を押えなければならない所にきている。それが果して可能かそれは今から社会にでていく君達ひとりひとりの英知にかかっている。

2003年3月追記 
 社会科学や自然科学を学ぶための本音の事情をしるには、オバタカズユキ著「資格図鑑!」ダイヤモンド社や、石原壮一郎、オバタカズユキ共著「会社図鑑!(天の巻)(地の巻)」ダイヤモンド社を勧める。進路を考える時ぜひ参考にされると良い。これらはなかなか秀逸です。大人の世界の話なので高校生諸君には少し解りづらいところがありますが、意欲ある人はぜひ読むことを勧めます。また工業技術系志望の高校生は山根一眞著「メタルカラーの時代」1〜5巻小学館(最近は文庫版もあり)を勧めます。技術者の熱い心がすがすがしい。

HOME  ユーラシア事情1975年  1.社会主義とは  2.民主主義の実現  3.君たちの課題